新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

S.O.S.

 アルジャーノン=ブラックウッドに"S.O.S."という短編がある。初出はThe Story-tellerの1918年3月号。余談だが、この月刊誌にはチェスタートンの「ブラウン神父」も何編か掲載されたことがある。
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 クリスマスの季節、語り手とドロシー(愛称ドット)と彼女のおじはジュラ山脈でスキーを楽しんでいた。昼から滑り続けて午後4時になり、3人は別荘に引き上げる。ドットにはハリーという恋人がおり、彼もいずれ到着するはずだった。待ちきれないドットはスキーを履いて出迎えに行こうとするが、おじさんが制止した。
「休んでおいたほうがいい」と彼はいった。夜のうちに4人で滑って帰る予定なのだ。「途中にはクリュデュヴァンもある。あれはいきなり始まるからな――垂直に切り立っていて、縁が見えないんだ」
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 これがクリュデュヴァンの写真だそうだが、なるほど壮観だ。ドットは少し不満げだったが、おじさんは言い聞かせた。
「ハリーなら迂回してくるだろう。彼はこの辺をよく知っている。私より詳しいくらいだ」
 おじさんは振り向いて口笛を吹き、愛犬を呼び寄せた。大きなセントバーナードなのだが、いつもならいそいそと駆けていくはずなのに、今日に限って動こうとせずに西のほうを向いている。おじさんは気づかないで屋内に入り、犬もやっと後を追った。日が暮れるにつれて寒さが強まり、3人は暖炉の火に薪をくべながらハリーを待った。
「彼の口笛が聞こえたら卵を料理するとしよう」といって、おじさんは愛犬の頭を撫でた。いつもならセントバーナードは彼の胸にじゃれつくのだが、今日は床に伏せたまま低く呻っている。全員が黙りこくってしまい、時間だけが過ぎていった。
 誰かが雪の上を歩いてくる音が唐突に聞こえた。セントバーナードは起き上がり、まるで人間が叫ぶように吠えてドアに飛びついた。ドットが開けてやると、そこにはハリーではない大柄な人物が立っていた。農夫のような出で立ちで、奇妙にも顔が隠されている。影のせいなのか、それとも髪の毛とひげに覆われていたのか――今日に至るまで語り手にはどちらともわからなかった。
 その人はドットのほうに腕を差し伸べて合図をした。とても優しく、まるで子供のように愛嬌のある仕草だった。途端にドットは戸外へ駆け出し、セントバーナードも一緒についていった。
「ちゃんとドアを閉めていかないか! まだハリーは来ていないよ」おじさんが言った。謎の人物はドットと語り手と犬にしか見えていなかったのだ。
 もう戸口には誰もいなかった。スキーを履いたドットは凍てついた斜面を滑り、セントバーナードは案内しようとするかのように彼女のスカートをくわえながら併走していた。
「ブランデーと毛布を頼みます!」
 そう叫ぶと、語り手もクリュデュヴァンに向かった。犬を追い抜いて目的地に着いた彼とドットが見たものは、断崖に向かって滑落しつつあるハリーの姿だった。彼らはハリーの脚をベルトで縛って引き上げようとする。だが3人とも落ちてしまうかと思われたとき、セントバーナードが加勢してくれたおかげで窮地を脱した。おじさんがブランデーと毛布を持って到着するまで、犬はずっとハリーを毛皮で温めてやっていた。
「風の中に声が聞こえたんです」後日ドットは語り手にいった。「私の名前を呼んでいました。あの場所にどうして行けたのかは自分でもわかりません。ずっと眼をつぶっていたような気がしますから」
 というわけで、クリスマスの奇跡のお話だ。この短編が収録されているTongues of Fire and Other Sketchesラヴクラフトもクラーク=アシュトン=スミスも読んだことがあった。ラヴクラフトは1926年8月18日付のダーレス宛書簡で「はっきり失望させられました」と述べているが、一方スミスは1932年3月25日付のダーレス宛書簡で「たいへん気に入りました」と好意的に評している。ラヴクラフトとスミスで意見が分かれてしまったが、ダーレスがどちらに賛成したのか気になるところだ。