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主にクトゥルー神話のことなど。

スミスの怪談講評

 The Best Ghost Storiesというアンソロジーを読んだ感想をクラーク=アシュトン=スミスが1932年3月4日付のダーレス宛書簡で述べている。

すべて読み通し、M.R.ジェイムズの「アルベリックの貼雑帖」が収録作の中で一番よかったという印象を受けました。次に優れていたのはE.F.ベンスンの「遠くへ行き過ぎた男」とブルワー=リットンの「幽霊屋敷」そしてビアスの「あん畜生」です。ただし「あん畜生」はいつだって超自然というよりは科学小説であるように感じられますね。「幽霊屋敷」には説得力があり、実は催眠術だったという最後の種明かしでもほとんど損なわれていません。どういうわけか、ブラックウッドの「幽霊の館」にはあまり興が乗りませんでした。心霊主義的な色合いと道徳主義的な含意のせいではないかと思います。たぶん、超自然的なものを心霊主義的もしくは疑似科学的に取り扱った作品全般が僕はあまり好きではないのでしょう。M.R.ジェイムズの扱い方が僕には理想的に見えます。「ハルピン=フレイザーの死」のような作品におけるビアスもたいへん納得がいくものです。もしも僕がアンソロジーを編纂することがあれば、真っ先に収録したいのは「赤死病の仮面」と「壁の中の鼠」ですね。

 The Best Ghost Storiesはプロジェクト=グーテンベルクで公開されている。もっともスミスが言及しているのは邦訳のある作品ばかりだし、今さら原書で読む必要性は稀薄だろう。
www.gutenberg.org
 「幽霊の館」になじめなかった理由が興味深い。ラヴクラフトとブラックウッドは思想的には水と油だとS.T.ヨシはそのラヴクラフト伝で指摘しており、霊的世界の探求者ブラックウッドと物質主義者のラヴクラフトでは確かにそうだろうと思うのだが、スミスも同じところが引っかかったというのは意外だった。もっともスミスの場合は心霊主義そのものを拒絶しているわけではなく、文芸作品に持ちこまれるのが彼の美意識に反していたようだ。1932年3月25日付のダーレス宛書簡でスミスは近ごろ読んだ本としてブラックウッドのTongues of Fire*1The Garden of Survival*2を挙げ、どちらもたいへん好きだと述べつつ「幽霊の館」を再び批判した。そして「僕は職業的オカルティズム――とりわけ教訓的な側面のものを強く嫌っているので偏見があるのです」と説明しているのだが、スミスはラヴクラフトと違ってガチガチの唯物論者というわけではなく、1937年4月13日付のダーレス宛書簡では次のように持論を披露している。

純粋な精神の世界がいくつか、もしくはたくさん存在するというのが僕の持論です(科学者には気に入ってもらえませんけど!)。個々の肉体を構成する原子が一般的な元素へと分解されるように、個々の精神は死に臨んで共通の源へと還っていきます。ですから、いかなる想念も宇宙から失われることはありません。生者の精神は感受性の程度と種類に応じて、その源と無意識のうちに接触できるのかもしれません。脳が物理的に破壊されれば意識も消滅するとHPLなら論じたことでしょう。しかし彼の意見に反論して、エネルギー・物質と脳髄・観念はどう変化しようと完全には消滅しないと主張してもよいのではないでしょうか。至高存在の海は不変であり、ただ個々の実在物という波が永遠に寄せては返すばかりです。生と死に関する真実は僕たちが思っているより単純かつ複雑なのかもしれません。

 永遠の世界がどこかにあるはずだという夢想。ラヴクラフトが世を去った直後の手紙であることを思うと切なさが感じられる。

*1:短編「炎の舌」ではなく、1924年に刊行された作品集Tongues of Fire and Other Sketchesへの言及と思われる。

*2:未訳の長編小説。1918年刊。