新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ポオとダンセイニとムーア

 ラヴクラフトに宛てた1935年5月27日付の手紙でC.L.ムーアがダンセイニとポオの話をしている。

私が何かを薦めるときはいつだってワーズワース風にたなびく栄光の雲で見る眼が曇っているのだろうということを御了承ください。私が十代の頃は、とてもたくさんのものがほとんど耐えがたいほど美しかったものです。ダンセイニの『エルフランドの王女』を読んだときは純然たる至福で眼が潤みました――暑く静謐な夏の午後に読んだのです。ダンセイニ卿の本そのもののように濃厚な魔法に満ちたひとときだったので、私は物語の中に迷いこんだきり出られなくなってしまうのではないかという気がしました。痛々しいまでに感受性の鋭敏な時期が永遠に続かないというのは悲しいことですね。それとも慈悲深いことなのでしょうか!

 この手紙にある「たなびく栄光の雲」はウィリアム=ワーズワースの「霊魂不滅のうた」からの引用。ムーアは少女時代の美しい記憶を語っているが、一方ラヴクラフトが初めてダンセイニの作品を読んだのは1919年だ。つまりダンセイニに対する彼の傾倒には思い出補正が一切なく、その点ではムーアと対照的といえるだろう。

私は15歳の時に重病を患いました――猩紅熱とはしかと乳様突起炎が一緒にやってきたのです――もっとも多感な年頃に長期間の譫妄と高熱で苦しまなければなりませんでした。至極ありふれた物事もねじくれて感じられたのですが、だから私はポオの作風が好きになれないのかもしれません。恐怖・陰湿・瘴気といった雰囲気を何時間も経験し続けるのがどういうことか私は知っており、天才の言葉であっても思い出したくないのですよ。蔦の葉が窓にぶつかる音や、看護師が絨毯を踏んで歩く音が耐えがたいほど騒々しく聞こえるときもありました。時として太陽の光は見たこともないほど醜く、けばけばしい黄色に映りました。そして緑の草の葉はまるで毒物のようでした。だから狂うというのがどういうことか私にはわかります。あらゆるものが混乱して怖ろしく、何もかもひどく間違っていると気づくばかりで何もできないときのことを知っているのです。そんなわけで私がポオを好きになれないといっても、ひとえに個人的なことでしかありません。思うに、ポオが雰囲気を作り出す天才でありすぎることが問題なのでしょう。彼が天才であるからこそ私は彼が嫌いなのです(ほら! 天才が不滅であることの証拠です。このお喋りの間中ずっと私はポオのことを現在形で語っているのですから)。

 ダンセイニに対する愛着と、ポオに対する反感がきれいな対称形になっている。ムーアに対するダンセイニの影響については識者の御意見を待ちたいが、それにしても現実を異様に歪める文学的効果を受け付けないようではラヴクラフトの小説を読むことができたのだろうかと心配になる。1935年11月12日付のラヴクラフト宛書簡を見てみよう。

先生の作品は本当にすばらしいものばかりで、どれがもっとも楽しかったか決めるのは難しいです。「霧の高みの不思議な家」はもちろんダンセイニを思い出させますが、もっと満足させてくれるものです。ダンセイニは常に満足がいくまで彼の幻想を展開してくれるとは限らないからです――読者を宙ぶらりんにし、じれったい思いのまま放置するのです。その点「不思議な家」に住んでいるもののことを過不足なく説明している先生はまさに中庸を得ておられます。この題名には長らく心を惹かれていたのですが、寸毫たりとも失望しなかったと申し上げることができて嬉しいです。

 怪奇幻想小説は説明しすぎれば野暮だし、説明が足りなかったら焦れったい。ダンセイニは後者に傾きがちだが、ラヴクラフトはちょうどいいという評価。

インスマスを覆う影」を読みながら私は興奮のあまり椅子の腕を叩いてばかりおりました。異種婚には私も前々から興味があったのですが、先生はいくつかの作品でたいそう美しく描き出しておられますね。彼らの家庭生活は一体どのようなものなのでしょうか! そして「戸口に現れたもの」のおかげで、以前は理解できていなかったことがはっきりしました。婚約者に私の作品を薦めたら「シャンブロウ」だけ読んでもらえたのですが、その時に彼が私を変な眼で見た理由がいまならわかります。こんなことを考えつけるのはどういう人間なのだろうか? と思われていたのですね。精神交換の話自体は古くからあるので、朽ちていく死骸の中に生者の精神を入れることを誰もまだ思いついていなかったのは奇妙です。疑いようもなく、これまでに私が読んだ中で一番ぞっとさせられる作品であります。

 どうやらムーアはラヴクラフトの作品を普通に楽しんでいたようだ。なお婚約者というのは当然ヘンリー=カットナーではなく別の人なのだが、1936年2月に銃の暴発事故で死亡している。この事件はムーアにかなり影響を及ぼしたらしく、彼女とラヴクラフトの文通は3カ月も中断することになった。