新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

カメレオン男

 「ラヴクラフト・サークル」の作家たちはほとんどがアーカムハウスで単行本デビューしているが、例外的なのがC.L.ムーアとヘンリー=カットナーだ。カットナーの作品集をアーカムハウスから出す計画はあったのだが、いざ契約を結ぶ段になって折り合いがつかなかったため頓挫したという。その内幕をピーター=ルーバーがArkham's Masters of Horrorで暴露している。

 本がペーパーバックで再版されたり外国語に翻訳されたりしたときの取り分は作家と出版社が半々とするという条件をダーレスは提示したのだが、カットナーはこれに不服だった。ダーレス自身がニューヨークの出版社と交わした契約書をカットナーに見せても納得してくれなかったので、断念せざるを得なかったそうだ。
「まったく、しょうがない夫婦ですね……総帥の御心がわからないとは……」と言いたげなルーバー。後にカットナーはダーレスの正しさを悟ったが、その頃にはもうダーレスはカットナーの本に対する興味を失っていた――とルーバーは皮肉っぽく付け加えている。
 ニューヨークの出版社というのはスクリブナーのことだろう。ダーレスは大手並の条件で作家を遇していたが、それですらカットナーにとって満足がいく金額には届かなかったということになる。どちらに非があるわけでもないし、この一件で彼らの友情にひびが入ったというわけでもないが、すっきりしない出来事には違いない。
 話は変わって、カットナーには"Chameleon Man"という短編がある。ウィアードテイルズの1941年11月号に掲載されたきり一度も単行本に収録されておらず、邦訳されたこともないが、現在では公有に帰しているためウィキソースで原文が公開されている。
en.wikisource.org
 ティム=ヴァンダーホフはニューヨークの衣料品店で働いているが、横暴な上司に虐げられる日々だ。今日も上司のS=ホートン=ウォーカーに「おまえには根性がなく、周りに合わせて変わるばかりだ。おまえはクラゲだ、カメレオンだ」と罵倒された彼は精神の限界に達していたからか、無意識のうちにウォーカーの動作や言葉を真似してしまう。「溺れて死ね」といわれて、ヴァンダーホフは入水自殺するためにコニーアイランドへ行った。
 コニーアイランドで我に返ったヴァンダーホフは、折しも降りはじめた雨を避けようと群衆の直中で右往左往するうちに、自分の身体に異変が生じていることを知る。目撃した人間そっくりの姿になってしまうのだ。カメレオンだと嘲られ続けた結果、とうとう能力として発現したらしい。
 変身能力の対象は人間に留まらず、ゴリラの映像を見ればゴリラに変身してしまう。ヴァンダーホフは見世物小屋に逃げこみ、侏儒と巨人の二人組に遭遇する。上半身が侏儒、下半身が巨人という奇怪な格好になってしまったヴァンダーホフ。彼のことを奇術師だと思いこんでいる二人組は絶賛するのだった。
「これはすごい! 大当たり間違いなしだよ」
 ヴァンダーホフは鏡の間で酔漢に絡まれるが、周りの鏡に映った自分そっくりの姿――「解剖学をまったく知らないものが組み立てたゾンビそっくりの姿」に変身して脅かす。酔っ払いが殺されそうになっていると勘違いした人物の通報で警官隊が雪崩れこんでくるが、ヴァンダーホフは警官の一人に化けて逃げおおせた。彼は能力を使いこなせるようになり、対象を実際に見なくても念じるだけで変身できるようになっていた。また、変身だけでなく分身もできるのだった。
 ヴァンダーホフが職場に戻ると、盛大なファッションショーが開催されていた。このドレスは世界に一着しかない特別製ですとニューヨーク一の富豪の女性にウォーカーが売り込んでいるのを見たヴァンダーホフは一計を案じ、そのドレスを着てファッションモデルに化けた。20人に分身した彼が登場すると客は唖然とし、一着しかないというのは嘘だったのかと騒ぎ出す。そこへ強盗団が乗りこんでくるが、ヴァンダーホフは分身の術を駆使して一人で残らず取り押さえてしまう。
 ヴァンダーホフはウォーカーに変身し、衣料品店の経営者であるイーノック=スロックモートンのところへ行った。強盗団を相手取ったヴァンダーホフの活躍はスロックモートンの耳に届いており、おかげで我が社は多額の賠償を免れたと彼は上機嫌だ。ウォーカーになりすましたヴァンダーホフはここぞとばかりに自分を褒めちぎり、スロックモートンは彼の進言に従ってヴァンダーホフをマネージャーに昇進させることにした。マネージャーはスロックモートンに直属する立場なので、ヴァンダーホフはもはやウォーカーに指図されずに済むようになったのだ。
 ヴァンダーホフが下の階に下りると、エクスター大佐が来ていた。ビルマに赴任していた頃は何人も再起不能にしてやったと豪語する危険人物で、夫人のために注文したドレスを取りに来たのだ。ヴァンダーホフはウォーカーに変身したまま「あんたイボイノシシに似てますな」と大佐を侮辱し、受注したドレスを彼の目の前で引き裂く。激怒した大佐はヴァンダーホフを追いかけてオフィスに突入し、本物のウォーカーに襲いかかった。午後5時になり、ヴァンダーホフは意気揚々と帰宅する。もう自分はクラゲでもカメレオンでもなく、己を取り戻したのだから不気味な変身能力も徐々に消えていくだろうと思いながら……。
 冒頭はハネス=ボクの挿絵で怪奇っぽく見せかけているが、中身はドタバタ喜劇だ。ここまでユーモア色が強まると、アーカムハウスの方向性にはそぐわないだろう。ダーレスが興味を失ったというのも、その辺に原因があったのかもしれない。