新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

命尽きる時

 7月4日はダーレスの命日だ。
 ダーレスが1971年に亡くなったときの様子はドロシー=M=グローブ=リタースキーやピーター=ルーバーの文章に詳しい。亡くなる前の晩、ダーレスは親しい友人たちに次々と電話をかけ、挨拶をして回ったという。7月4日の朝、彼は庭に出てオークの大木の下に座った。その木の下で最後の時を迎えたいとダーレスは日頃から語っていたのである。心臓発作を起こした彼を秘書のケイ=プライスが見つけて病院に運んだが、もはや手遅れだった。午前9時55分、オーガスト=ダーレス帰天。62年の生涯だった。
 その時、サンフランシスコで開催されていたコンベンションに出席していたホフマン=プライスは、ダーレスの死の報せが人々にもたらした衝撃を後に振り返っている。彼がBook of the Dead で述べているところによると、参加者の動揺を怖れた大会の運営委員会は訃報をしばらく伏せていたそうだ。
 約450語の死亡記事がニューヨーク=タイムズに載り(参照)、3日後の7月7日に葬儀が営まれた。葬儀が始まってから数分後、北西にあるバラブーの丘から雷が聞こえてきた。参列者たちは顔を見合わせ、ダーレスが皆に別れを告げているのだろうかと訝った。すると墓地の上空に3羽の鷹が現れ、いつまでも旋回し続けたという。鷹はダーレスの一番好きな鳥だった。
 ダーレスは世を去ったが、人々は彼のことを忘れなかった。ダーレスの事績を語り継ぎ、彼の作品を後世に伝えるために、アイザックアシモフやレイ=ブラッドベリオーガスト=ダーレス協会を設立した。ダーレスの故郷であるウィスコンシン州ソークシティには、彼の名を冠した公園や橋が造られた。2009年、ウィスコンシン州ではダーレスの生誕100周年を祝い、彼の誕生日である2月24日を「ダーレスの日」とすることをジム=ドイル州知事が宣言した。
 現在、ダーレスはソークシティの聖アロイジオ墓地に眠っている。彼の墓に刻まれている墓碑銘は以下の通りである。

私が望んだのは熟慮して生きること、人生の精髄たる事実のみと向き合い、それが教えてくれるであろうものを学べないか見極めることだった。いまわの際になって、自分は生きてはいなかったなどと悟るのは嫌だったのだ。

 これは、ダーレスが深く尊敬していた思想家ヘンリー=デイヴィッド=ソローの著作『ウォールデン』からの引用である。ダーレスの生涯はその言葉に恥じない立派なものだったといっていいだろう。シオドア=スタージョンはダーレスのことを「現実の裏側まで見通す比類なき眼を備えた怪奇文学界最大の傑物」と呼んでいる。