新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

軌道に乗るどころではなかった経営

ダーレスの罪と罰
 いろいろと突っ込みどころの多い文章なのだが、細かい話をひとつ。

アーカムハウスの経営が軌道にのった、1940〜50年代には

 1940〜50年代にアーカムハウスの経営が順調だったというのは正しくない。1939年から49年までの10年間にダーレスがアーカムハウスに注ぎこんだ私財は2万5000ドル(現在の数十万ドルに相当)に上り、金策に駆けずり回るダーレスの姿を間近で見たというサム=モスコウィッツの証言もあるほどだ。
 1950年には印刷所への支払いが間に合わないのではないかと危ぶまれたが、その時デイヴィッド=H=ケラーが大金を提供してくれたためアーカムハウス九死に一生を得た。締まり屋として有名だったケラーがそんなに気前よく振る舞ったとは驚くべき話だ――とピーター=ルーバーはArkham's Masters of Horror で余計なことを述べている。
 ケラーについては前にも記事を書いたことがある。*1彼がダーレスに救いの手を差し伸べたのは頼まれたからではなく、アーカムハウスの苦境を知って自発的に申し出たのだそうだ。ダーレスにお金を渡すとき、ケラーは次のように述べたと伝わっている。
「私はね、人を見る眼があるのが自慢なんですよ」
 ケラーの言葉はアーカムハウスに対する最高の賛辞だったとダーレスは回想している。なお、ケラーから借りたお金を彼は後に全額返済した。
 いかにも細かい話ではあるのだが、そんな初期からアーカムハウスの経営が軌道に乗っていたなどといわれてしまうと、もっとも苦しい時期に陰から支えてくれたケラー博士を無視されたような気がして私はおもしろくないのだった。