新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

星々の音楽

 ドゥエイン=ライメルに"Music of the Stars"というクトゥルー神話短編がある。初出はThe Acolyteの1943年春季号だ。私はTales of the Lovecraft Mythosで読んだのだが、現在では公有に帰しているためCthulhu Filesでも公開されている。
www.cthulhufiles.com
 友人のボールドウィンを殺害したランボーの告白という体裁をとった話。ランボーはライメル自身、ボールドウィンは彼と親しかったF=リー=ボールドウィンがモデルだろう。またランボーボールドウィンプロヴィデンス在住の作家ランカスターと文通していたということになっており、これは明らかにラヴクラフトのことだ。作中の年代は1940年となっており、ラヴクラフトが本来の寿命を越えて生き続けていると考えると少し切ない。
 ボールドウィンは音楽家だったが、怪奇趣味に耽溺していた。ランボーも彼に付き合い、『ネクロノミコン』や『エイボンの書』『妖蛆の秘密』を探し求めたが、ことごとく徒労に終わった。しかしスポーケンの書店で偶然『ナスの年代記』の英語版を発見し、購入することができたのだった。
 『ナスの年代記』は1653年に執筆され、著者であるルドルフ=イェルグラーは直後に失明している。『ナスの年代記』の初版が刊行されるとイェルグラーはベルリンの癲狂院に送られ、本は発禁処分を受けた。ジェイムズ=シェフィールドによる英訳は一部の表現を和らげてあるが、それでも十分に荒唐無稽なものだった。
 ボールドウィンは『ナスの年代記』を読みふけり、自分が追い求める星々の音楽を作曲するための手がかりを得ようとしていた。星の世界から魔物を招喚するためのリズムが『ナスの年代記』には記されているのだという。なおイェルグラー自身は音楽家ではないのだが、彼がそのリズムを他の書物から書き写したのか、それとも自分で考案したのかは不明だ。
 ハモンドオルガンに似たルナコードなる楽器でボールドウィンはイェルグラーの招喚魔法を再現しようとする。彼の計画はあまりにも常軌を逸したものだったので、プロヴィデンスの作家ランカスターも反対するほどだった。ランカスターは『ナスの年代記』の原書を読んだことがあり、その危険性を熟知していたのだ。イェルグラーは自分でも招喚を試してみたらしいが、発見されたとき彼は視力を失った眼が飛び出し、火傷のような小さな丸い穴が顔と身体に空いていたという。
 招喚のための曲をボールドウィンは完成させたが、その曲は既存の音符では表記できないものだったので楽譜はなかった。ランボーは演奏を聴くために彼を訪問するが、念のために拳銃を携えていった。失われた古の楽曲にあった魔術的要素を甦らせつつある今日の音楽家といえばアール=ハインズだなどと解説しながら、ボールドウィンはルナコードを奏でる。すると天窓が揺れ、一条の強烈な白光が窓ガラスを砕いて床に命中した。
 眼もくらむばかりの光とともに現れた割には、そいつは黒い影のような姿をしていた。影あるところに光ありということだろうか。燃え上がる単眼と、一本のぬらつく触手を備えたそれはボールドウィンの頭上を漂いながら鉤爪をゆっくりと伸ばしていった。ボールドウィンは演奏を止めて絶叫し、ランボーはポケットの中の拳銃をまさぐった。
 ボールドウィンは魔物を追い払おうと腕を振り上げた。ランボーも黒い影に飛びかかって拳を叩きこんだが、手応えはなく悪臭がするばかりだった。拳銃を発射しても、5発の銃弾はことごとく壁に当たっただけだった。何かがこめかみに当たってランボーはひっくり返ったが、すさまじい不協和音がして我に返り、拳銃を構えて立ち上がった。もはや人間でなくなったボールドウィンランボーの名を呼んでいた。
「眼が見えない……そこにいるのかい? やつに捕まった――僕の一部になったんだ! 逃げろ! 撃て! 殺してくれ!」
 ランボーは恐怖のあまり凍りついたように立ちすくみ、一気に10年も老けこんだような気がした。ボールドウィンとともに過ごした楽しい日々の思い出がよみがえる。ランボーは意を決して引き金を引いた。
 ボールドウィンは死に、ランボーは殺人の容疑で逮捕された。イェルグラーの著作も含め、ボールドウィンの蔵書はすべて司直の判断で焼却処分になったという。おそらく自分は死刑になるだろうが、今はただ友を救えたことを願うばかりだ――とランボーは思う。だがランボーの見る夢の中では、夜空から降りてくる暗雲が彼を呑みこもうとしていた。その黒雲の中心には、かつて人間だったものの歪みきった顔が見える――親友の顔、焼かれて穴だらけになった顔が……。
 ボールドウィンの魂は招喚したものに吸収され、死後もさいなまれているのかもしれないと示唆する結末。おっかない話だが、「山の木」で言及された『ナスの年代記』とその著者に関する詳しい情報が追加されている点が注目に値するだろう。

Tales of the Lovecraft Mythos (English Edition)

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