新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

新しきアダム

 スタンリー=G=ワインボウムのThe New Adamに『ネクロノミコン』が出てくるそうだ。プロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアで無償公開されているので読んでみた。
gutenberg.net.au
 1939年に発表された長編で、今のところ邦訳はない。どんな話なのか、冒頭の段落を訳出してみよう。

これは超人の物語である。彼の出自を、その幸福の追求を、その愛をつぶさに述べる。そして最終的には彼の成功もしくは失敗が語られることになるが、いずれであったのかは読者諸賢の御判断に委ねるしかない。荒唐無稽な話かもしれないが、その基底をなすものは実際に起こりうる。

 主人公の超人は名前をエドモンド=ホールといって、シカゴの弁護士の家に生まれた。手指の関節がひとつずつ多い以外にさしたる身体的特徴はないが、その知能は普通の人間よりも遙かに高く、そして二つの物事を同時に考えることができる。ノースウェスタン大学で医学を専攻したものの医者にはならず、真空管の改良によって財をなした後は幸福の追求にその短い生涯を費やした。
 超人であることを自覚して以来、エドモンドは常に孤独を感じている。常人を観察対象と見なしているため性格は冷笑的であり、彼にとっては自分自身の結婚ですら一種の実験に過ぎない。だが酷薄ではなく、物質をエネルギーに転換する技術を危険すぎるとして封印するなど人類の存続を望んでいる。
 初めエドモンドは知識を探求したが、実験に明け暮れても知識など虚しいという結論にしかならなかった。権力を得ることは少し考えただけで放棄し、愛にこそ幸福があるという仮説を証明するために幼なじみのエヴァン(愛称ヴァニー)と結婚する。それまで付き合っていたポールを速攻で振ってエドモンドと一緒になるヴァニー。たまたまヴァニーとポールの間に隙間風が吹いていた時期ではあるのだが、より重要なのはエドモンドが人心の操作に長けていることだ。彼にとって常人の精神は単純なものなので、適切な刺激を加えることによって望みのままの反応を引き出せるのだ。このためエドモンドに対するヴァニーの愛がどこまで真正なものなのかは曖昧で、かなり不気味な感じがする。
 ウォール街で大暴落が起きたが、ポールは事前に予測していたので手持ちの株をうまく売り抜けて安泰だった。一方、結婚生活のほうはうまく行かなかった。超人の精神があまりにも常人と異なっていることが原因だった。

僕も彼女も誤ってはおらず、双方にとって不自然な婚姻がいけないのだ。親密になりすぎれば僕は死に、ヴァニーは狂うことになる。我々の異なる力は互いの弱点を攻撃してしまう。酸とアルカリのようなもので、中和を完了するためですら相互に破壊的なものとなってしまうのだ。

 夫婦生活を送っているだけで心身を害するというのだ。エドモンドはヴァニーを守るために別居する。自分と同じ超人であるセーラ=マドックスと出会ったエドモンドは彼女と同棲するようになり、やがてセーラは彼の子を産んだ。
 ヴァニーは悲嘆に暮れていた。自分とエドモンドが対等でないことなど百も承知で、「犬が主人を愛するように私は彼を愛してるの」などと言い出す始末だ。エドモンドもヴァニーのことを諦めきれず、彼女のもとへ戻っていく。エドモンドが超人としての知的活動を封印すれば、一緒に暮らしていてもヴァニーの心には悪影響が出ないらしい。その代わりエドモンドは日増しに衰弱していった。さて、終盤にさしかかったところで『ネクロノミコン』がようやく登場する。

かつて共に暮らしていた頃の恐るべき事物をヴァニーは忘れており、エドモンドも名状しがたいものを見せないよう注意深く振る舞っていた。緊張した卑小な精神にとって危険な含意をヴァニーが感じ取ってしまわないよう、エドモンドの思考は特定の経路へと整理してあったが、常にうまく行っているわけではなかった。ある日の午後、エドモンドが書斎に戻ってくるとヴァニーは涙ぐみながら震えていた。彼女の前にあるのは、かのアラブ人が著した『ネクロノミコン』の非常に古いフランス語版だった。その途方もない冒涜の意味は彼女にも推測でき、ほとんど消えかかっていた以前の恐怖を甦らせるのに十分だったのだ。

 慌てて書斎から『ネクロノミコン』を片づけるエドモンド。常人にとっては精神崩壊につながる禁断の秘儀も超人には単なる情報でしかないというわけで、この場面で『ネクロノミコン』が出てくるのにはそれなりの意味がある。なお『ネクロノミコン』にフランス語版があるという設定は、この作品がおそらく初出だ。
 セーラの説得にもかかわらずエドモンドはヴァニーと別れようとせず、その命は旦夕に迫っていた。余命幾ばくもないことを悟ったエドモンドは、ヴァニーが自分の死を悲しみすぎないよう暗示を与えてからポールのもとへ送り出し、遺産はヴァニーとセーラに分け与えると遺言状をしたためる。だがヴァニーと入れ違いになる形でポールがやってきた。ヴァニーを横取りされたことを深く恨んでおり、エドモンドに復讐しようというのだ。面倒なことになるのを懸念したポールは暗示の力でポールを追い返し、自らを拳銃で撃って命を絶ったのだった。
 というわけで超人の一代記だ。エドモンドには感情移入しにくいし、それどころか「ヴァニーの身体にセーラの精神が宿っていればいいのに」などと妄想している場面は正直とても気持ち悪いのだが、たぶん作者は意図的にそうしているのだろう。現代社会に超人が一人だけ突如として生まれたとき、一体どのように振る舞うかという思考実験を行うことがワインボウムの目的だったように思われる。
 ワインボウムは「ラヴクラフト・サークル」の一員ではなかったが、ラヴクラフトの同時代人だった。ラヴクラフトはワインボウムのことを高く評価し、1935年に彼が夭逝したときは哀悼の意を表している。
 またワインボウムはロバート=ブロックの知り合いで、彼とブロックが蹄鉄投げ大会でタッグを組んで勝利を収めたこともあった。ワインボウムが肺癌で亡くなる3カ月前、彼の病状をブロックから聞いたラヴクラフトは1935年9月19日付の手紙で次のように述べている。

ワインボウムの体調が優れないとのこと、お見舞いを申し上げるとともに一日も早い回復をお祈りします。彼が私の作品を気に入ってくれたと伺えて嬉しいです。

 したがって、ワインボウムがラヴクラフトのファンであることは彼の生前にブロック経由で伝わっていたわけだ。もしもラヴクラフトとワインボウムが二人とも長生きしていたら、やがてはブロックを介して親交を結ぶことができたのではないか。そう考えると惜しい気がする。

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