新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

大自然の随筆家

 ウィリアム=ブラウニング=スペンサーに"The Essayist in the Wilderness"というクトゥルー神話短編がある。2002年に発表された作品で、2003年度の世界幻想文学大賞候補になった。その後New Cthulhu: The Recent Weirdに収録されている。

 語り手の名はジョナサン、奥さんはオードリー。ディプロマミルと揶揄される無名大学の英文科で二人とも教鞭を執っているが、文法をおよそ理解しようとしない学生を相手にするのにうんざりしている。ある日、宝くじが当たった。夫妻はさっそく大学の仕事を辞めて田舎に家を買い、趣味の読書と創作に没頭することにした。
 オードリーが発作を起こして倒れた。慌てて医者に連れて行くと、かかとを毒虫に刺されたのだといって手当てをしてくれる。オードリーは快復したものの、奇行が目立つようになった。嫌いだったはずの『誰がために鐘は鳴る』を読むようになり、ヘミングウェイの文章はコンマが少ないから楽なのだとジョナサンに説明する。彼女が読んでいた『誰がために鐘は鳴る』を後でジョナサンがこっそり開いてみたところ、わずかに使われているコンマもすべて赤インクで抹消されていた。コンマが駄目とは奇妙な拒絶反応だが、さらにオードリーは自分の眉毛を剃り落としてしまった。
 小説は一向に書けないし、かといって自分には試作の才能もないようだから、随筆家にでもなるかと思い立ったジョナサン。豊かな自然をテーマにした文章を書こうとしたものの、あなたは自然のことなんか知らないでしょうとオードリーに突っこまれてしまう。確かにそのとおりなので、まずジョナサンは自然を観察しに行くことにした。
 池で奇妙な生き物を見つけたジョナサンは知り合いに電話をかけて質問する。知り合いはカードゲームの最中で忙しく、それはザリガニだろうとだけ答えて勝負に戻った。ジョナサンは足繁く池に通い、ザリガニの生態を記録する。複数のザリガニが合体して巨大ザリガニになり、巨大ザリガニは猫ほどの大きさの蜘蛛に似ているが、蜘蛛よりもずっと脚が多い……。それは絶対にザリガニではないだろうと突っこみを入れるべきところなのだろうが、ジョナサンの勘違いを正してくれるものはいなかった。なお、ザリガニといえば連想されるのは当然ミ=ゴだが、この作品では特定されていない。
 オードリーのかかとが発光していることにジョナサンは気づいた。毒虫に刺された箇所だ。オードリーは猛然と執筆に打ちこんでいたが、彼女の書いたものは所々に意味不明な単語が使われており、文章自体もジョナサンには理解しがたいものだった。とうとうオードリーは家を出て行ってしまい、後には「祝祭の時にまた会いましょう。畑の手入れをよろしくね」と伝言が残されていた。畑にかぶせられているビニールシートをジョナサンが剥ぐと、畝にびっしりと植わっていたのは眼球だった。
 咆吼が聞こえてきた。見ると、触手と翼を備えた巨大なものが月を背景に立ちはだかっている。ジョナサンは家の中に逃げこんで閉じこもり、図書館から借りてきた図鑑でザリガニのことを調べるのだった。物音から判断するに、屋根の上にも何かがいるようだ。こうして、ジョナサンが計画していた随筆は台なしになったのだった。
 なかなかに不気味な話なのだが、同時に変な愉悦を味わえる。なお、スペンサーの神話作品で邦訳されているものとしては『ラヴクラフトの怪物たち』所収の「斑あるもの」がある。これまた奇天烈だが、読んでいて楽しい作品。お薦めだ。
ラヴクラフトの怪物たち 上

ラヴクラフトの怪物たち 上

  • 発売日: 2019/09/24
  • メディア: Kindle