新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ドルーム=アヴィスタの戯れ

 ドルーム=アヴィスタという神様がいる。初出はヘンリー=カットナーの"The Jest of Droom-Avista"――というか、クリス=ハローチャ=アーンストの神話作品目録によると他の作品でドルーム=アヴィスタが言及されたことはないそうだ。
wakeupcthulhu.ari-jigoku.com
 ドルーム=アヴィスタのことを日本語で紹介しているサイトはすでに存在するが、ひとつ指摘させていただくとベル=ヤルナクはムー大陸の都ではない。ベル=ヤルナクの神であるヴォルヴァドスムー大陸の民が信仰していたという記述が「侵入者」にあるので誤解したのだろう。
 "The Jest of Droom-Avista"の前に「魂を喰らうもの」の話をしておいたほうがいいだろう。ウィアードテイルズの1937年1月号に掲載されたカットナーの掌編で、「魂を喰らうもの」と呼ばれる魔神をベル=ヤルナクの首長*1が倒した顛末が語られている。雨宮伊都さんによる邦訳がPEGANA LOSTの14号に載っている。
 ベル=ヤルナクの首長は代々ヴォルヴァドスを崇め、魂を喰らうものと対決する際に助言を得たということになっている。しかしながら「魂を喰らうもの」は発表された時点では既存のクトゥルー神話作品との接点が皆無であり、ダンセイニ風の小話としか言いようがないものだった。2年後に「侵入者」が発表され、ヴォルヴァドスクトゥルーや『妖蛆の秘密』と絡むことによって神話大系に編入されたのだ。
 "The Jest of Droom-Avista"は「魂を喰らうもの」の続編に当たり、ウィアードテイルズの1937年8月号が初出だ。ベテルギウスの彼方の星にあるベル=ヤルナクは空に三つの月が浮かび、黄金と白銀で舗装された壮麗な都だったが、金銀よりも貴重な金属を求めて研究に耽る者がいた。実験と失敗を繰り返し続けた大祭司トラゾールはとうとうドルーム=アヴィスタを招喚し、至高の貴金属を生み出す賢者の石を授けたまえと願ったのだ。ドルーム=アヴィスタは「それだけのことか」といってトラゾールに賢者の石を与え、再び眠りについた。トラゾールは歓喜したが、賢者の石はあまりにも強力だったため彼自身も、さらにはベル=ヤルナク全体が影響を受けてしまった。かくしてベル=ヤルナクは鉄の都ディンへと変じたのだった。おしまい。
 というわけで有名なミダス王の物語を換骨奪胎したものなのだが、ベル=ヤルナクにおける至高の貴金属とは鉄のことだったというオチをつけ、話にひねりを加えている。「侵入者」はその後日談といっていいだろう。ヴォルヴァドスは呼ばれれば助けに来てくれるが、自ら愚行に走るものを制止するようなお節介さは持ち合わせていないらしい。そもそもトラゾールは大祭司といってもヴォルヴァドスを崇拝しているわけではなく、ベル=ヤルナクにおいてヴォルヴァドスを信仰するのは首長ただ一人だったと「魂を喰らうもの」にある。そのようにヴォルヴァドスが決めたのだそうだ。余談だが、ベル=ヤルナクの住民は地球人からはかけ離れた姿をしているという。
 「魂を喰らうもの」でヴォルヴァドスは「神に打ち勝てるのは神にあらず、神を創りし人のみ」と何やら含蓄のあることをおっしゃっている。だからこそベル=ヤルナクの首長が自ら魔神に立ち向かったのだが、リン=カーターの「深淵への降下」では「魂を喰らうもの」はムノムクアの称号であるとされ、しかもヴォルヴァドスに負けて太陽系まで逃げてきたことになっている。こちらの設定のほうが我が国では有名かもしれない。
 私の知る限り"The Jest of Droom-Avista"は未訳だが、原文ならThe Book of Iodで読める。これは1995年にケイオシアムから刊行された作品集で、カットナーの作品を中心に13編の神話小説が収録されているが、現在では電子書籍として復刊されたものを安く買うことができる。ただしKindle版ではカットナー以外の作家が書いた3編が削除されているので注意が必要だ。*2

*1:原文ではSindaraと呼ばれている。その地位は世襲らしく、あるいは君主と訳すべきか。

*2:正確にいうと、除かれた3編のうち1編はカットナーとブロックが合作した「暗黒の接吻」