新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

「モウリョウ」余話

 雨宮伊都さんによると、水木しげるの「モウリョウ」はダーレスとマーク=スコラーの合作が元ネタだそうだ。


 邦題は「戻ってきたアーノルド・ベントレー」というのだが、これは雨宮さんが正しい。原題は"The Return of Andrew Bentley"であり、なぜアンドルーがアーノルドになってしまったのかは謎だ。初出はウィアードテイルズの1933年9月号だが、同時に載ったクラーク=アシュトン=スミスとロバート=E=ハワードの作品*1ラヴクラフトは1933年9月11日付のスミス宛書簡で称賛しつつ「ダレット伯爵のは標準以下でした」と厳しめの評価を下している。なお"The Return of Andrew Bentley"の掲載に際してはファーンズワース=ライトが原稿から500語ばかり削ったという。
 ラヴクラフトは1933年6月5日付のダーレス宛書簡で「アンドルー=ベントレーの話を9月号で読めるのを心待ちにしておりますよ」と述べたものの、いざ掲載されると無言だった。前述したように評価が高くなかったのだが、ダーレスに直接そう伝えるのは気の毒だし、かといって心にもないお世辞をいうのも気が引けたのだろう。

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 「モウリョウ」が週刊少年マガジンに掲載されたのは1968年、元ネタが収録されている『カンタービル館の幽霊』が刊行されたのはその3年前だ。"The Return of Andrew Bentley"は魔術師アンドルー=ベントレーがエイモス=ワイルダーの遺体を狙うという話なのだが、自分の使い魔の憑代として遺体を利用するのがアンドルーの目的だった。アンドルー自身も死霊であり、隠されている彼の遺体を完全に焼かない限り使い魔は退散しないということになっている。残っていた指の骨を燃やして使い魔がようやく消えるという結末までそっくりだが、水木しげるは魔術師と使い魔をまとめてモウリョウに置き換えたわけで、うまく換骨奪胎したものだという印象を受ける。


 なるほど「夢は写真にとれない」といった台詞が共通している。ただし「モウリョウ」で焼かれる山田老人の遺体は厳密にアンドルーと対応しているわけではない。アンドルーは使い魔を異界から招喚して従えた魔術師だが、山田老人は単なる憑代に過ぎないからだ。この点は元ネタとの最大の相違だろう。
ゲゲゲの鬼太郎 (5) (ちくま文庫)

ゲゲゲの鬼太郎 (5) (ちくま文庫)

 「ハスターの帰還」の執筆に着手したことをダーレスは1933年1月27日付のラヴクラフト宛書簡で報告している。"The Return of Andrew Bentley"と時期が近いが、こちらはハスターがエイモス=タトルの遺体を乗っ取ろうとする話だ。いずれもエイモスの身体が狙われているわけで、もしかしたらネタの使い回しではないだろうか。
 2009年にダーレスの怪奇傑作選がアーカムハウスから全4巻で刊行されたが、"The Return of Andrew Bentley"が収録されている巻の裏表紙はウィスコンシンの川岸の写真で、次の言葉が添えてある。

1931年の夏、ウィスコンシン州ソークシティを流れるウィスコンシン川の岸辺に建てられた掘っ立て小屋をダーレスとスコラーは借りて小説の執筆に励んだ。小屋はなくなったが、ウィスコンシン川は今も流れ、彼らの物語も残っている。

 実のところダーレスにとっては適当に書き飛ばした作品のひとつに過ぎなかったのかもしれないが、物語の舞台がサック=プレーリーであることは特筆に値する。すなわちダーレスの郷土文学と怪奇文学の交差点となる小説なのだ。それがなぜかゲゲゲの鬼太郎に影響を及ぼしたというのも奇しき縁ではある。
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 モウリョウが登場する以外、原作とは似ても似つかぬ話だし、ましてや元ネタとの共通要素は皆無といっていいのだが、それでもリンクを張るのは単に私が4期好きだからだ。

*1:スミスの「アトランティスの美酒」とハワードの「忍びよる影」