新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

復讐するは我にあり

 アルジャーノン=ブラックウッドに"Vengeance Is Mine"という短編がある。1921年に発表され、現在では公有に帰しているためプロジェクト=グーテンベルクなどが無償公開している。まだ邦訳はない模様だ。

The Wolves of God, and Other Fey Stories by Algernon Blackwood and Wilfred Wilson - Free Ebook

 特筆すべきは、第一次世界大戦の戦場が物語の舞台になっていることだろう。1918年春のフランス、ルーアン郊外の野戦病院。主人公はその病院で働いている元牧師の英国人だ。よりよい方向に人類は進歩し続けているという信念の持ち主だが、戦争の惨禍を目の当たりにして心が揺らぎつつある。
 ある日、謎めいた女性が食堂で彼の真向かいの席に座った。なぜか彼はその女性に強く心惹かれるものを感じる。2日後、主人公はその女性と階段で再会した。すれ違いしなに彼女はいった。
「期待していますよ」
「ご期待に添いましょう」我知らず彼は返事をしていた。
 主人公は森へ散策に出かける。丘に登った彼の耳に遠くから砲声が聞こえてきた。またしても彼は戦争の悲惨さに思いを馳せ、人類の進歩などうわべだけのものに過ぎないのではないかという疑念に囚われる。敵に有利な天候が続いており、オーディンに率いられる古の神々がドイツ軍に味方しているのだろうかと彼は訝った。
 自家用車が何台も彼の傍らを走っていった。乗っているのは女性たちだ。主人公が散策を再開して森に入ると、あの謎めいた女性が空地にいた。彼が話しかけると、ある名前を彼女は口にした。
ルーヴェン
 ルーヴェンというのはベルギーの都市の名前だ。一次大戦中、ドイツ軍に占領されて図書館を焼き払われるなどの被害を受け、ドイツの暴虐の象徴とされていた。犠牲になった人々の復讐を彼女は企てていたのだ。しかしキリスト教の神は無力だと考えた彼女は、古の神々の力を借りて復讐を成し遂げようとしていた。折しも春分の夜であり、儀式を行うには打ってつけだ。
「私は母親です」と彼女はいった。「子供たちを守ろうと思ったら、彼らと同じように崇拝しなければなりません」
 彼女に協力することを誓う主人公。彼女と同じ衣装を身につけた女性たちが現れて篝火を焚き、輪になって詠唱する。すでに生贄の人間も用意してあり、それは捕虜になったドイツ軍の兵士だった。「眼には眼を!」と女性たちは叫び、まず生贄の手を切り落とそうとする。そのとき、故郷の野原で遊び戯れる子供たちの姿が主人公の心を去来した。正気を取り戻した彼は超人的な力を奮い起こして篝火を消し、生贄を縛っていた縄を切る。すると光り輝く少女の姿をしたものが出現し、生贄を森の奥へと逃がした。
 気がつくと主人公は丘の上におり、走り去っていった自動車を見送りながら、湿気ったパイプに火をつけようとしているところだった。何も覚えていなかったが、人類は確かに進歩しているという信念は戻ってきていた。
 主人公は野戦病院に帰った。近くの収容所から脱走した捕虜がいるが、すぐに捕まってしまったと職員が教えてくれる。おそらく生贄にされかけた兵士のことなのだろうが、もちろん主人公にはわからなかった。ようやく天候も好転してきたようだ。もう食堂で彼の向かいの席に座る者はいなかったが、彼はそのことに気づきもしなかった。
 古の力が今なお生きながらえているというモチーフの話だが、一次大戦と絡めた点が異色だ。もっとも強く戦争の影響を受けたブラックウッドの作品だろうとマイク=アシュリーは述べている。最終的に主人公は復讐ではなく人類への愛を選んだわけだが、重めの内容だという印象を受けた。