新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

柳の祭壇

 元々はローマ神話の神であるスムマヌスが旧支配者として『マレウス・モンストロルム』(以下マレモンと略す)に載っているのは、出典となった"What Dark God?"の作者がブライアン=ラムレイであることだけが理由だろうという話を昨日した。クトゥルー神話との関連性が稀薄なところからマレモンがクリーチャーを引っ張ってきた例はそれだけではなく、ナイアーラトテップの化身とされる「オールドワンの使者」もそうだ。
 「オールドワンの使者」の出典は一応ジョゼフ=ペイン=ブレナンの"The Willow Platform"なのだが、旧支配者の使者だのナイアーラトテップの化身だのといったことは一言も書かれていない。ベインブックスの公式サイトで無料公開されている作品なので、ご興味がおありの方は御自分でお読みになるのもいいだろう。

- The Willow Platform by Joseph Payne Brennan

 物語の舞台になっているのはコネティカット州のジュニパーヒル。ブレナンが創造した架空の地名で、彼の作品の舞台としてお馴染みの場所だ。語り手の名前は詳らかでないが、毎年6月上旬から9月下旬までジュニパーヒルで暮らし、いまでは地元の人々とも親しくなっているらしい。
 ヘンリー=クロテルは奇妙な人物だった。職に就かずに掘っ立て小屋で暮らし、わずかな畑を耕したり野山の恵みを採取したりして必要最低限の衣食を得ている。たまに他人の農作業を手伝うこともあるが、報酬は1日1ドルと食事だけと決めており、余分に支払おうとする人がいても笑顔で断ってしまう。ヘンリーの日常は満ち足りた平穏なものだったが、トロビシュ邸の跡地で1冊の本を発見したことが彼の人生を狂わせてしまった。
 ハンニバル=トロビシュ老人が世を去ってから50年、彼の家は放置されたまま崩れ果て、かつて地下室だったところが地面に空いた穴となって残っているだけだった。ヘンリーはその穴の中からラテン語の本を見つけ出した。上質皮紙で想定されており、表題と目次は欠落している。幅4インチ、長さ6インチの小さな本だった。メートル法に直せば10センチ×15センチといったところか。
 英語の読み書きすら満足にできないヘンリーだったが、教師のウィニー先生からラテン語を教わり、その本を読もうと取り組む。わからない単語の一覧をヘンリーはウィニー先生のところに持っていくが、その内容から判断するに本は悪魔学に関するものらしかった。氏名不詳の語り手や町の長老デイヴ=ベインズはヘンリーのことを心配する。
「お願いがあるのですが」とデイヴは語り手にいった。「あの呪われた本をヘンリーから取り上げてくださいませんかな」
 いつも気立てのいいヘンリーだが、語り手で本を見せることすら拒む。まるで本に憑かれてしまったかのようだ。彼は夜な夜な森の中で本を音読するようになり、灯りもつけないで夜中にどうして本が読めるのかと町の人々を不思議がらせた。トロビシュ邸跡の近くに倒れている松の根元から見つけた指輪のおかげだとヘンリーは説明する。その指輪の台座にはめこまれているのは光沢のない黒色の石だったが、暗闇の中では青い光を放って輝くというのだ。やがてヘンリーは丘の上に柳の枝で高さ20フィートの祭壇を築き、その上に登っては大音声の詠唱を行うようになる。違法建築であるとして取り壊したらどうかと語り手はデイヴに提案した。
「そんなことをしても無駄でしょう」とデイヴはいった。「別のところに作り直すだけでしょうから」
 ヘンリーはろくに食事をとらなくなり、身なりはボロ同然だった。彼の身を案じたデイヴは、ミラーの牧草地を手伝いに行ってほしいと頼む。大恩あるデイヴの頼みとあって、ヘンリーは渋々と引き受けた。
 ヘンリーが作った祭壇を語り手は見に行く。段の上に登ってみると、風に乗って詠唱が聞こえてきた。ヘンリーが戻ってきたに違いないと思った語り手はその場を立ち去ろうとするが、そのとき周囲の景色が変化した。ツガの木が生い茂っていたはずなのに、熱帯のシダ植物を思わせる巨木が夜空にそびえ立っている。そして語り手が梯子を下りながら上を見ると、顔を歪め眼をぎらつかせたヘンリーが段の上から見下ろしていた。
 這々の体で帰宅した語り手は何時間もコーヒーを飲みながら過ごし、椅子に座ったまま眠りについた。翌朝、目を覚ますとデイヴが訪ねてきたところだった。すでに日は高く昇っている。語り手はデイヴを招き入れて昨夜の出来事を語った。
「それは幽体離脱というものではないかと思いますよ」とデイヴはいった。「ヘンリーはまだミラーのところにおりますので。手伝いの一人が夜中過ぎに見たら、ヘンリーは熟睡していたそうです。あの狂った塔まで往復する余裕などありますまい」
 しかし翌日、ヘンリーは待遇に文句をつけて仕事を放棄した。夜になって語り手が祭壇へ駆けつけると、果たせるかなヘンリーがいた。それまで何かを呼び寄せようとしていた詠唱が急に変化し、死に物狂いで退散させようとしているようだったが、時すでに遅かった。ヘンリーの頭上に現れたものは夜空を背景にしてもなお黒々としていた。
 出現したものの正体をブレナンは明らかにしていないが、クトゥルー神話TRPGではナイアーラトテップの化身として扱っているわけだ。ルルイエの浮上といった尋常ならざる出来事の前触れとして出現するなどとマレモンには書いてあるが、そこまで大層なことは原作では起きていない。ともあれ、擬足とおぼしきものがそいつから伸びてきて、哀れヘンリーは絡め取られてしまった。語り手にできることは何もなく、連れ去られるヘンリーの絶叫が聞こえるばかりだった。
 それは遙か古代の地球にいた生命体だったのかもしれないとデイヴは語った。地上から姿を消して久しいが、いまも異次元に存在しており、人間の呼びかけに応えて姿を現すのだろう。だがヘンリーはそれを招喚することはできても制御の仕方を知らなかったので破滅してしまったというのがデイヴの仮説だった。
 それから1週間後、ジュニパーヒルの町から北に20マイルも離れた場所で人骨が発見された。骨は焼け焦げており、身許を特定することは不可能に見えたが、光沢のない黒色の石が台座にはめこまれた指輪を指にはめていた。一方、ヘンリーを破滅させたラテン語の本は二度と見つからず、おそらく彼を焼き殺した炎で灰になってしまったのだろうと語り手は思うのだった……。
 語り手もデイヴもウィニー先生も善意で行動しているのだが、ヘンリーを救うことはできずに最悪の結末へ至るのが切ない。実力派のブレナンらしく読み応えのある作品で、ラヴクラフトの影響も感じられるのだが、外形的にはクトゥルー神話とのつながりはない。せいぜいデイヴが語り手との会話でウェンディゴに言及するくらいか。逆に言えば、本来クトゥルー神話との接点がなかったものを神話大系に導入するための媒介としての機能をマレモンが果たしているということだ。ブレナンの名作が忘れ去られていくのを惜しんだアニオロフスキが読者の眼を向けさせるために敢えて取り上げたと考えるのは穿ち過ぎだろうか。

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