深きものどもの帰還
スチュアート=ゴードン監督の映画「ダゴン」は「インスマスを覆う影」が原作ということになっているが、結末はむしろブライアン=ラムレイの"The Return of the Deep Ones"に近い。
"The Return of the Deep Ones"は1984年に発表された作品。主人公はジョン=ヴォリスターという海洋生物学者で、貝類の研究が専門だ。コーンウォール地方の村で一人暮らしをしている彼のもとに米国のインスマスから巻貝の標本が送られてくる。それはジョンが見たこともない貝で、送り主の名はウィリアム=P=マーシュといった。
未知の貝の正体を突き止めようとするジョンに近づいてきたのは、彼の友達の友達と称するデイヴィッド=センプルだった。さらにセーラ=ビショップという若い女性が現れる。父親のエフレイム=ビショップと一緒に米国から来たそうだ。セーラはクトゥルーについて語り、旧支配者は邪悪な神々に封印されたのだと熱弁を振るう。深きものどもの側から見ればクトゥルーこそが正義というわけで、この辺はリチャード=L=ティアニーや山田正紀の神話作品に通じるものがある。
センプルがジョンをボート愛好家のクラブに招待する。そこにはエフレイムがおり、三つの海底都市の模型をジョンに見せた。一つ目は大いなるクトゥルーが眠るルルイエ、二つ目はダゴンとヒュドラが治めるイハ=ントレイ、そして三つ目は建設中のアフ=ヨーラ――この場面の描写は実に美しい。
クラブは深きものどもの拠点であり、例の巻貝が山のように蓄えられていた。その貝は深きものどもの食糧だったのだが、クラブの秘密を目撃したジョンは監禁されてしまう。彼の海洋生物学者としての知識は深きものどもの計画にとって有益であり、しかも実はジョン自身が深きものどもの血を引いていた。
深きものどもの形質が発現するのを促進する薬をジョンは注射される。「インスマスを覆う影」の主人公を人間から深きものに変貌させる儀式をインスマスの住民が執り行う場面を書き加えてはどうかとC.A.スミスはラヴクラフトに提案したそうだが、儀式の代わりに薬物を使うあたりがラムレイらしい。また、出される食事にも怪しげな丸薬が添えてあったが、ジョンは飲んだふりをして捨ててしまった。
ジョンを仲間に引き入れるため、センプルが深きものどもの社会や文化について講釈する。だがジョンは脱出することを決意しており、センプルと二人きりになった隙を衝いて行動を起こした。ジョンが丸薬を飲んでいなかったことを知ったセンプルは狼狽して叫ぶ。
「何ということを……あれは君を狂気から守るための薬だ!」
深きものどもの形質を人為的に発現させようとすると内分泌系のバランスが崩れるのか、精神が著しく不安定になるので、発狂してしまわないように薬が必要なのだ。センプルの言葉を裏づけるかのように激怒の発作を起こしたジョンは彼の喉を引き裂いて惨殺した。
深きものどものアジトから脱出したジョンは最寄りの派出所に駆けこんだが、出てきた警官は明らかなインスマス面だった。この地域はもう深きものどもに乗っ取られているらしい。国家権力に頼ることもできないまま自宅に帰り着いたジョンを深きものどもが包囲する。おまえも仲間になれ〜いあ〜いあ〜。こう書くと冗談みたいだが、ジョンが書面を託した新聞配達の若者を容赦なく殺害するなど、やっていることは凶悪きわまりない。
籠城しながらジョンは手記をしたためる。水道も電気も止まり、今や懐中電灯の明かりが頼りだ。鏡を見ると、かなり変貌が進行している。人間として生きることは諦めるしかないが、深きものどもの存在を世間に知らしめないことには死ねない。人類のためというよりは、自分をこんな目に遭わせた連中に復讐するためだ。
何とかジョンを説得しようとセーラが訪ねてくる。彼女によると、エフレイムは父親ではなく7代前の先祖だそうだ。いったんはセーラを追い返したものの、もはや万策尽きていた。書き上げた手記を地中に埋めたジョンは深きものどもに投降する。
エフレイム=ビショップからウィリアム=P=マーシュへ送られた手紙で物語は締めくくられている。マーシュはジョンの実の祖父だった。センプル以外にも何人かジョンに殺されているのだが、インスマスの重鎮であるマーシュの頼みでエフレイムが便宜を図ったため、ジョンはお咎めなしということになった。
海洋生物学の専門家であるジョンを仲間に引き入れて科学力を増強するというのが深きものどもの狙いだったが、狂ったジョンの精神はもはや回復せず、彼は学者としては使い物にならなくなっていた。現在セーラがつきっきりでジョンを介護しており、二人でルルイエへの巡礼の旅に出る予定があるそうだ。こんなことになってしまった責任はセンプルにあるが、彼はすでに報いを受けていると結論するエフレイム。組織の末端に責任をかぶせて問題をうやむやにするあたり、深きものどもの社会も人間のそれと大差ない。
というわけで、誰も得をしない結果になってしまった。長々と粗筋を書いてしまったが、結末が「ダゴン」に似ていると申し上げた理由がおわかりいただけるだろうか。主人公は肉体もしくは精神に深い傷を負い、自らの意思に反して深淵へ赴くしかないが、少なくとも自分を愛してくれる女性だけは得た――その境遇が共通しているのだ。
ウィルマース財団がジョンを助けに来るのではないかと思いきや、そんなことは全然なかったが、実のところラムレイの神話短編ではバッドエンドは珍しくない。また、クトゥルーは善なる神だとセーラが力説するくだりも興味深い。クロウ・サーガとは趣が異なるが、ラムレイは神話大系を様々な側面から捉えてみせているのだろう。
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