新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

カインの7日間

 ラムジー=キャンベルはThe Seven Days of Cain というクトゥルー神話長編を2010年に発表している。神話大系に関連する用語が頻出する作品ではないが、奇人ローランド=フランクリンと彼の著作への言及があり、「迷路の神」アイホートの名前も出てくる。
 バルセロナ大道芸人の女性が惨殺されるところから物語は始まる。同じ頃、ニューヨークでは劇作家が殺されていた。2件の殺人の意味は謎のまま、主人公のアンディ=ベントリーが登場する。彼の職業は写真家で、福祉事務所で働くクレアという奥さんがいる。夫婦仲はいいのだが、なかなか子供ができなことが悩みの種。また、アンディの父親のブライアンは認知症の症状が出はじめている。
 謎めいたメールがアンディのもとに送られてくるようになる。どうやら彼には秘められた過去があるらしいが、それが何なのかは明らかにされないまま、事件らしい事件が起こらずに物語は中盤まで進む。そんな風に作品を書くことが許されるのはキャンベルくらいだろう。
 夫の様子がおかしいことに気づいたクレアに問い詰められて、アンディは自らの過去を打ち明けた。かつて彼は小説家を志望していたのだが、人物造形ができないという弱点があったので、キャラクターの創造を支援してくれるというウェブサイトを頼ることにしたという。キャラの大まかな設定だけ作ってメールで送れば、それに肉付けしたものを返してくれるというサイトだ。しかしキャラの成長ぶりはあまりに生々しく、不気味なものを感じたアンディはそのサイトの利用をやめた。
 自分が捨てたはずのキャラからまたメールが来るようになったんだとアンディはクレアに説明する。それどころか、彼らは現実世界に出現しているらしい。物語の冒頭で殺害された大道芸人と劇作家は、アンディが小説のためにこしらえた架空の人物だったのだ。単なる偶然の一致なのか、それとも虚構が現実を侵食しているのか?
 3人目そして4人目の犠牲者が出る。殺された側だけでなく、殺した側もアンディの作ったキャラだった。いかなる意図があるのか、自分の同類を消して回っているのだ。さらにアンディが知ったのは、クレアも実はキャラ創造支援サイトの産物だということだった。ならば次に消されるのはクレアの番ではないか……。
 自分の創った殺人鬼ベイヤーとついに対峙したアンディ。ベイヤーはアンディの前で消滅するが、それが終わりではなかった。ベイヤーの残していったヒントによって、クレアは自分の素性を知ってしまう。自らが架空の存在に過ぎなかったことを悟り、海浜をさまようクレア。この場面は圧巻だ。クレアは最後にアンディと話をしようとするが、携帯電話が砂の上に落ち、そこにはもう誰もいなかった。
 クレアが姿を消した浜辺をアンディが再び訪れるエピローグで物語は締めくくられている。アンディは携帯電話を取りだし、クレアの残していった微かな声に聴き入った。そのとき、背後から足音が聞こえてきたような気がした。振り向く勇気はないが、アンディは己のすべてを賭ける思いで「君なのか?」と問いかけたのだった。
 蝕まれ、崩壊していく現実を描いたキャンベルらしい作品。クトゥルー神話作品にしては異色だろうが、自らの依って立つ現実は今にも崩れてしまいかねないほど脆いものなのではないかという不安を描く手際の鮮やかさはキャンベルならではだ。

The Seven Days of Cain

The Seven Days of Cain