新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

森の一番くらいところ

 アラン=ムーアがラムジー=キャンベルを評して曰く「英国における当代最高の恐怖作家」
 キャンベルの比較的最近のクトゥルー神話作品にThe Darkest Part of the Woods がある。キャンベルが創造した架空の都市ブリチェスターを舞台とし、とある一家とグッドマンズウッドの森の関わりを物語る長編だ。主役はヘザー=プライスという女性で、図書館で司書の仕事をしている。彼女の父親であるレノックス=プライスはかつて大学の先生だったが、いまは精神病院で暮らす身。他の患者たちと一緒に森へ行っては何かを調べているらしい。その昔、グッドマンズウッドの森にはナサニエル=セルクースという魔術師が住み、禁断の知識を探求していた。セルクースが遺した記録を探して米国からジョゼフ=カーウィンが来たこともあるが、目当てのものはついに見つからなかったという。
 ヘザーにはサムという息子がおり、求職中だ。父親のコネで出版社の求人に応募することになるが、面接の場所であるロンドンまで辿りつけない。彼はグッドマンズウッドの森から離れることができないのだ。長らく消息を絶っていたヘザーの妹シルヴィアがひょっこり戻ってくるが、彼女は妊娠していた。赤ん坊の父親は自分ではないのかという怖ろしい疑念に苦しめられるサム。レノックスの狂気が受け継がれたのか、魔術師セルクースの祟りなのか、はたまた森そのものに未知の何かが潜んでいるのか――森で待っている運命にプライス一家はそれぞれ引き寄せられていく。
 これはいかにもキャンベルらしい作品だ。自分を取り巻く現実は今にも崩れ去ってしまいかねないほど脆いものではないのかという不安が巧みに描き出されているのだが、話の展開が非常に緩やかであるという点でもキャンベルらしい。最初の事件としてレノックスが死ぬのだが、それまでに140ページ近くを費やしている。スティーヴン=キングも導入部をだらだら書く人だが、キャンベルはキングを超えている。そんなキャンベルの文章にはひとつの無駄もないと感じるか、逆にすべてが無駄だと思うかは人によりけりだろう。
 アマゾンにある21のレビューでも評価が真っ二つに割れているが(参照)、「ナイトランド」でおなじみのマット=カーペンターは星五つをつけている。クトゥルー神話作品というよりはラヴクラフト風作品だとカーペンターは評しているが、クトゥルー神話と聞いて私たちが連想するものとは確かに少し異なっているかもしれない。たとえば旧支配者への言及としては、セルクースの日記に「闡明されたる真実の主ダオロスよ、我らを包含したまえ」という言葉があるだけだ。
 だが私はこの長編を神話作品と見なしているし、それも非常に優れた作品であると考えている。サムを捜し求めてヘザーが森の中をさまよう最終章を私は電車の中で読んだのだが、我知らず吊革を握りしめていた。それほど怖かったのだ。クライマックスで読者にそう感じさせるために、キャンベルはじっくりと手間をかけて物語を紡ぎ上げたのだろう。彼にしかできないことであると思う。
 結局サムは職を得てロンドンに引っ越した。我が子を救うことに成功したヘザーだが、彼女自身は父レノックスの役目を引き継ぐ。今もグッドマンズウッドの森には何かがいるのだから……。ダーレスの「闇に棲みつくもの」やブロックの「無人の家で発見された手記」そしてワグナーの「棒」など、森を舞台にした神話作品には名作が多いというのが私見だが、そこにキャンベルが新たな一作を付け加えてくれたのは大いに喜ばしいことだ。

The Darkest Part of the Woods

The Darkest Part of the Woods