新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

暗黒の嗤い

 ラムジー=キャンベルにThe Grin of the Dark というクトゥルー神話長編がある。2008年度の英国幻想文学大賞を受賞した作品だ。私が買ったペーパーバック版の表紙には「あなたが目覚めているうちから悪夢を見させる術をキャンベルは心得ている」というロバート=ブロックの言葉があるが、キャンベルがダーレスの子分ならブロックは弟分というわけで、キャンベルから見てブロックはいわば叔父貴に当たる。身内ならば大げさに褒めることもあるだろうと思ったのだが、実は大げさではなかった。
 主人公のサイモン=レスターは若手の映画評論家。文筆で身を立てることを志しているが、いまは求職中の身だ。ナタリーという女性と交際中だが、彼女の両親は二人の結婚に必ずしも賛成していない。苦境にある彼に救いの手をさしのべたのは、大学時代の恩師であるルーファスだった。
 ルーファスから本の執筆を依頼されたサイモンが題材として選んだのは、無声映画時代の人気俳優だったタビー=チャカレイだった。大学教授からコメディアンに転身し、一時は大いに人気を博したものの現在ではすっかり忘れ去られているという人物だ。彼の出演した映画は発禁になり、チャカレイの舞台を観ていた客が笑いすぎのために死んだという伝説まであるほどだった。
 サイモンはさっそく取材を開始し、貴重な記事やフィルムの収集に乗り出すが、道化師の顔がにやにや笑う幻影が彼を悩ますようになる。さらに、チャカレイについてデタラメなことを書き散らす人物がネット上に現れ、サイモンを執拗に攻撃するようになった。キャンベルの長編は物語の進行が緩やかなのが特徴だが、この作品では早い段階からサイモンが現実と妄想を区別できなくなっているので、導入部が割と急テンポだという印象がある。また、キリスト生誕劇が上演されている最中に、幼子イエスを模した人形が舞台上でばらばらになってしまうという挿話があったりして、全体的にアナーキーな雰囲気が漂っている。
 サイモンと交際しているナタリーには、7歳になる連れ子がいる。マークという名前だが、この子が結構かわいい。サイモンを慕っており、いろいろ手助けしてくれる聡明な少年なのだが、だからといってサイモンの妄想が改善されるわけでもない。終盤に入ると話はトーマス=リゴッティの「道化師の最後の祭り」とつながってしまい、アザトースの名前も出てくる。サイモンは破滅するでもなく救われるでもなく、狂っているのは主人公なのか世界なのか曖昧な状態で物語は幕を閉じる。
 いつもの通りアマゾンのレビューでは賛否両論になっている。だが私個人に関する限り、目覚めていながら悪夢を見ることになるだろうというブロックの言葉は何ら偽りのないものだった。「キャンベルは日常に恐怖を融けこませる天才であり、ささやかな戦慄と困惑の瞬間を積み上げては泰山と化さしめる」とはティム=プラットの言葉だ。

The Grin of the Dark

The Grin of the Dark