新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

闇の男

 ロバート=E=ハワードに"The Dark Man"という短編がある。ゴル=ゴロスが登場する作品として有名な"The Gods of Bal-Sagoth"(未訳)の前日談であり、また「大地の妖蛆」とも関連しているため、クトゥルー神話大系の一部といえるだろう。ウィアードテイルズの1931年12月号が初出であるため、国によっては公有に帰しており、オーストラリアのプロジェクト=グーテンベルクで原文が無償公開されている。
gutenberg.net.au
 物語の主人公はブラック=ターロウことターロウ=ダブ=オブライエン、11世紀に活躍したケルトの勇士である。彼の話で邦訳されているものとしては「灰色の神が通る」があるが、これは1014年にあったクロンターフの戦いを題材とする作品だ。その戦いから数年後、ターロウが部族を追放されて浪々の身となっているところから"The Dark Man"は始まる。
 偉大な王であったブライアン=ボルーがクロンターフの戦いで斃れて以来、ターロウの部族は苦難の時を迎えていた。族長の娘であるモイラがバイキングにさらわれてしまったが、東と北から同時に押し寄せてくる敵に対処するのに手一杯で、奪還のための遠征軍を編成する余裕はない。ターロウは単身バイキングに戦いを挑むことにした。自分を追放した連中とはいっても同胞であり、ましてやモイラとは幼いころ一緒に遊んだ仲なのだ。
 ターロウは小舟で海に乗り出す。途中、剣の島と呼ばれる小島が行く手に見えた。その島に真水があることを知っているターロウが上陸すると、15人のバイキングが倒れているのが見つかる。彼らは一人残らず血まみれになって絶命していた。一緒に死んでいるのは浅黒い肌をした小柄な戦士たちで、こちらは全部で7人。敵は戦上手のバイキング、しかも倍以上の数だというのに、臆することなく戦って共倒れに持ちこむとは尋常ではない。
 さらにターロウは黒い石の像を見つけた。高さは5フィートほど、堂々とした男の姿をかたどったものだ。ターロウが手をかけてみると、石像は驚くほど軽々と持ち上がった。しかし中は空洞にはなっておらず、密に詰まっているようだ。不思議な話だが、これはバイキングと相打ちになった戦士たちが崇める神像なのだろうとターロウは考えた。彼らはこの像を守るために戦い抜いたに違いない。ターロウは像に話しかけた。
「あなたはかつて王だったのだな、黒き男よ。俺と共に来て、力を貸してくれ」
 ターロウは石像を小舟に乗せて旅を再開する。海上には濃霧が立ちこめ、勇士ターロウといえども普通なら遭難していたことだろう。しかし石像が導いてくれたかのように小舟は正しい進路を進み、ターロウは目的地に到達した。宵闇に紛れて上陸したターロウは、モイラをさらったトーフェルの館を目指す。
 いかんせん孤立無援なので、正面突破というわけにはいかない。仲間がいない悲しさを噛みしめながらターロウが潜入の機会を窺っていると、二人のバイキングが例の黒い石像を運んできた。どうやらターロウの小舟は彼らに見つかってしまったようだ。ターロウが一人で楽々と運べた像なのに、彼らは二人がかりでも重さに耐えかねて気息奄々という有様だった。
 ターロウはトーフェルの館に忍びこむ。広間には名だたる豪傑が集まっており、トーフェルはモイラを傍らに置いて得意満面だった。黒い石像も運びこまれており、結婚式を挙げさせるためなのかキリスト教の司祭までいた。
「お嬢さん、私はここに無理やり連れてこられたのだが」と司祭はモイラにいった。「この男と結婚することを本心からお望みか?」
「嫌です! 絶対に嫌!」とモイラは叫んだ。
「結婚すればいいんじゃないかね」トーフェルに客人として招かれていたサクソン人アセルスタンが宥める。「南の女が北の男と結婚したことは一度ならずあるわけだし」
 妻になるのが嫌なら奴隷にしてやるとトーフェルはモイラを脅かすが、モイラは彼を豚野郎と罵り、電光石火の早業で奪い取った短剣を自分の胸に突き立てた。ターロウは雄叫びを上げ、ただ独りで突撃する。彼は一人でも多くを道連れに討ち死にする気だったが、そのとき一団の戦士が広間に雪崩れこんできた。ターロウが剣の島で見たのと同じ、浅黒い肌をした小柄な人々だ。ターロウは彼らと共に戦い、とうとうトーフェルを斃した。
 浅黒い肌の戦士たちはピクト人で、その長はブロガーという名だった。自分たちは奪われた像を奪還しに来たのだとブロガーはターロウに説明し、像の来歴を語る。それはピクトの英雄ブラン=マク=モーンをかたどったものに他ならなかった。ブランの霊が友と認めたものにとって石像は羽のように軽く、そうでないものにとっては非常に重いのだという。
 司祭に看取られながら息を引き取ろうとしているモイラのもとへターロウは行く。モイラは彼の顔を見て微笑もうとしたようだったが、それが彼女の最期だった。客人のアセルスタンを除いてバイキングは全員が殺され、像を取り戻したピクト人は引き揚げていく。ターロウはアセルスタンにも止めを刺そうとしたが、司祭が止めた。
「よかろう、彼は殺さない。だが坊さん、あんたの祈りや徳のためではない。あんたも漢であり、モイラによくしてくれたからだ」とターロウはいった。「俺と一緒に来るかね?」
「私は残る」と司祭は答えた。重傷を負って身動きできないアセルスタンの治療をしてやろうというのだ。
「異教徒じゃないか。それに、こんな場所にいても凍え死ぬか飢え死にするだけだぞ」
「異教徒でも人間だ」という坊さん。すごい男気だ。「二人の命をつなげるだけのものは見つかるさ。止め立ては無用」
 一切は滅び去っていくだけと虚無感に囚われていたターロウだったが、人間の悲しみや無力さよりも大きく気高いものがその司祭にはあるような気がした。司祭に見送られながら、ターロウが朝焼けの海へと去っていくところで物語は終わる。
 けだし名作というべきだろう。なお、この作品ではブランの最期が語られている。彼は戦場で斃れ、その死によってピクトの王国は崩壊した。しかしピクト人は滅びず、ブラン=マク=モーンの伝説を脈々と受け継いでいった。「暗黒の民」によれば、ブランに対する崇拝は現代でも続いているとフォン=ユンツトが述べているそうだ。地球のどこかで存続しているピクト人が細々と祀っているということなのだろうが、私はもうひとつの可能性を考えている。長い歴史の中で、ピクト人ならずともブランの加護を求めるものはターロウ以外にもいたのだろう。強大なローマを相手取って戦い抜いたブランにすがったのは、やはり追い詰められている者たちだったに違いない。ブランが守ってくれることを願う人々の間で徐々に信仰が広まっていったのではないだろうか。
 ブラン=マク=モーン、彼はすべての虐げられし民の守護神である!