新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

混沌の太鼓

 昨日の話の続きである。西暦33年の春、シモンはヨグ=ソトース招喚の計画に巻きこまれることになった。その顛末を語ったのがThe Drums of Chaos という長編だ。
 この作品について、ダニエル=ハームズは「悪者にさらわれる以外に何もしないヒロインを別にすれば完璧な作品だ」と評しているが(参照)、私も割と同感だ。女性キャラが類型的すぎるという弱点はあるものの、重鎮らしい濃密な作品に仕上がっている。
 The Drums of Chaos はいわば新約聖書のパロディで、ヨグ=ソトース招喚計画の中心にいるのはイエス=キリストである。ティアニーの説ではヤハウェはヨグ=ソトースの化身ということになっており、イエスはウィルバー=ウェイトリーと同じくヨグ=ソトースの落とし子だ。もちろん不可視の兄弟もいて、物語の山場で大暴れする。
 人類の絶え間ない苦しみに心を痛めたイエス様は、この上ない苦痛を伴う死を我が身に課すことにより、父であるヨグ=ソトースを招喚して人類を救済しようとする。つまりゴルゴタの丘におけるイエス磔刑はヨグ=ソトース招喚のための儀式だったのだ。この計画に協力するのがイエスの養父ヨセフで、彼は強大な魔術師だったということになっている。またイスカリオテのユダはイエスの一番の親友であり、計画を達成するために敢えてイエスを売ったのだった。聖母マリアも出てくるが、ヨグ=ソトースの子を産まされた後遺症で精神に異常を来している。
 ヨグ=ソトースが地球上に降臨すれば、単に人類が滅びるだけでなく、人類が存在したという事実自体が宇宙の歴史から抹消されてしまう。つまり、人類など最初からいなかったということになるのだ。時間旅行者ジョン=タッガートは旧神の暴政から人類を解放しようとヨセフに協力していたが、事の重大さに翻心し、人類の消滅を阻止する側に回った。
 タッガートはイエスを説得しようと、荒野で断食している彼のもとを訪れて語りかける。あなたは地上の王となり、人々が少しでも幸福に生きられるよう導けばいいではないか? しかしイエス様は「サタンよ、立ち去れ」といってタッガートを追い返す。すなわち、荒野でイエスを誘惑したサタンとはタッガートのことだったのだ。
 人類を苦しみから解き放とうとしているイエスやヨセフとは別に、個人的な野心のために旧支配者を招喚しようとするものもいた。ユダヤの大祭司アンナスとカイアファはローマの軍司令官マクセンティウスと結託し、ハスターの招喚を企てている。事が成った暁にはマクセンティウスがローマ皇帝となり、アンナスは東方の王になるという約束だ。なおティアニーによると、ヨグ=ソトースとハスターは同一の存在だそうだ。また昨日の記事で申し上げたように、マクセンティウスはシモンの両親の仇でもある。
 これらの陰謀に巻きこまれたシモンたちは人類の消滅を防ぐべく戦うことになるが、彼らにも味方がいる。それは緑色をした不定形の生命体で、カストル星系からやってきたのだ。この生命体は他の動物の体内に潜りこんで暮らし、見返りとして宿主を治療したり知識を与えたりする。なかなか仁義をわきまえた連中で、知能の高い宿主の体を間借する前には必ず同意を得るという掟があるそうだ。セラエノ星系にも彼らの同類がいるが、こちらはもっと荒っぽく、宿主を一方的に乗っ取ってしまう。どう見てもハル=クレメントの『二十億の針』からの借用だが、ドシテウスの使い魔カルボの知能がただの鴉とは思えないほど高いのは、実はカストル人が体内にいたからだった。また、ハスターの眷属の奴隷として働かされていたカストル人バラームも、自由の身にしてもらった礼としてシモンやタッガートに協力するようになる。
 シモンとタッガートがどのようにして邂逅したかといえば、マクセンティウスの部下に半殺しにされたタッガートが放置されているところにシモンが通りかかって救助したのだが、そのことを知ったイエス様は自分の説教のネタにした。つまり、聖書に出てくる「善きサマリア人」とはシモン=マグスのことだったのだ。*1
 イエスは首尾よくゴルゴタの丘で息を引き取ったが、メナンドロスはタッガートの指示でイエスの声を録音していた。採取された声のサンプルをもとにギャラクティク人がイエスを再生させる。キリストの復活は本当にあったのだというわけだが、彼が生き返ったことによって儀式の効果が打ち消されてしまった。タッガートの前に彼の元同志ピットが現れる。
「戦いに来たのか?」とタッガートは訊ねる。
「いや、別れをいいに来ただけだ」というのがピットの返事だった。「愚かなことを。おまえのせいで、人類はこの先何千年も苦しみ続けることになるのだぞ」
 タッガートは釈明しようとするが、ピットは耳も貸さずに立ち去った。イエスの養父ヨセフも同様の言葉をタッガートに投げつけ、バイアクヘーに乗って飛び去る。
 旗色が悪いと見て取ったアンナスとカイアファはさっさと逃げ出したが、マクセンティウスはなおも旧支配者の招喚にこだわっていた。イエス様の双子の兄弟が暴れまくる中、付け焼き刃の呪文を唱えるマクセンティウス。もう時機を逸してしまったので、今さら儀式を行ったところでヨグ=ソトースは降臨しない。せいぜい、何か禍々しいものが出てきて破壊と殺戮の限りを尽くすだけだろうが、それはそれで困る。大賢者ダラモスとタッガートは力を合わせ、イエスの兄弟を異界に送り出す。「父上! 父上! ヨグ=ソトース!」と絶叫しながら不可視の兄弟は消えていき、ついでにマクセンティウスを連れて行ってしまった。
 カルボとはぐれたメナンドロスがイエスの墓の前で彼を捜していると、イエスを慕う人々がやってきた。墓が空っぽになっているのを見て、マグダラのマリアが訊ねる。
「あの方は?」
「蘇られたのです」とメナンドロスは説明する。「ガリラヤに向かわれました」
「生きておられるのですね!」喜びのあまり泣き出すマリア。「私たちも行きましょう。みんな、急ぐわよ!」
 こうして事件は終わった。タッガートはバラームを故郷に帰してやるが、カルボは地球で友達と一緒に生きていくことにする。シモンは帝国の圧制と戦うべく、再び流浪の旅に出た。イエス=キリストという人物のことを振り返るタッガートの言葉で物語は締めくくられている。

彼の父親は人間ではなかったが、彼は人間の心を持っていた。彼には力があったが、その力で安らぎと癒しをもたらそうとした。彼は人類を消し去ろうとしたが、それは慈悲の心ゆえにしたことだった。そのために、誰にも耐えられないような苦しみを彼は引き受けたんだ。彼は神の子であるだけじゃない。彼はいい奴だった。

 聖書をさんざんネタにしておいて、最後はちょっといい話になっている。なおThe Drums of Chaos の解説を書いているのはロバート=プライス。本職が神学者・聖書学者なので、確かに打ってつけではある。

The Drums of Chaos

The Drums of Chaos

*1:余談だが、当時のユダヤ人とサマリア人の関係については後藤寿庵先生の解説がわかりやすい。