闇に棲みつくもの
以前クトゥグアについて記事を書いたことがある(参照)。四大首領の一角を占め、ナイアーラトテップを怖れさせる実力者なのに、この神様はどうも不遇だ。クトゥグアが姿を見せた最初の作品はダーレスの「闇に棲みつくもの」だが、これも高い評価を得ることがない――と思ったら、ロバート=プライスがThe Nyarlathotep Cycle で次のように述べていた。
この作品はダーレスの最高傑作のひとつであり、彼の主要な創作分野ふたつの「クロスオーバー」をいくらか表わしている。すなわちクトゥルー神話とウィスコンシン・サーガである。この幸福な合体は出だしの文章でただちに示されている。それは「ダニッチの怪」から派生したものだが、舞台となるのはニューイングランドではなくウィスコンシンの辺境の森だ。ダーレスが自家薬籠中のものとしている地方主義は随所で明らかとなっており、他の作品では薄弱で陳腐に見えてしまうものにも実質が伴っている。豊潤な迫真性があるのだ。ダーレスの人物造形、少なくとも二人の主役について同じことがいえる。会話は概して真実らしさが感じられ、簡潔であるべきところで簡潔、常識的であるべきところで常識的だ。そしてダーレスの辛辣な感性が底流となって作品を刺激的にしている。物語の数カ所では、紛う方なき不吉な予感がするほどだ。
「闇に棲みつくもの」は「闇に囁くもの」のダーレス版だといわれても驚く人はいないだろう。同じ基本的なモチーフがここには再び現れている。地元のインディアンの伝説に隠された禍々しい真実としてナイアーラトテップが偶然にも発見される、地元の碩学に質問する、探索者が捕えられて偽物と入れ替わる等々。ウィルマースに相当する登場人物であるアプトン=ガードナー教授が今回は犠牲者だというのが、テーマに加えられた大きな変化である。ラヴクラフトの先行作品と似ているからといって、私たちが心穏やかでなくなる必要はない。それは文学的影響と間テクスト性の新たな一例に過ぎない。マッケンに多くを依っているものがラヴクラフトの作品にはあるが、それらよりも「闇に棲みつくもの」の方がこの方向に深入りしているなどということはない。
実はなかなか見所のある作品だというわけで、私としてはプライス博士に賛成したいところだ。ところでクトゥグア自身に話を戻すと、ビジュアル的にも映える神ではないだろうか。最近では『本当に恐ろしいクトゥルフ神話』に載っているクトゥグアの絵がよかった。Rebis氏(id:rebis)の手になるものだという。
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