新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

暗黒最終戦争

 ジョン=グラスビーという作家が英国にいた。1928年生まれで、インペリアル=ケミカル=インダストリーズに勤める傍ら小説を大量に書いていたという人物だ。The Plains of Nightmareという題名で彼のクトゥルー神話作品集をアーカムハウスから刊行する計画があったのだが、ダーレスが急逝したため頓挫してしまった。そのため神話作家としてのグラスビーは注目を浴びることが少なく、ロバート=プライスは彼のことを「新ラヴクラフト・サークルの失われたメンバー」と呼んでいる。それでも近年は様々なアンソロジーに彼の短編が収録され、作品集も刊行されているので、神話ファンの眼に触れる機会も増えた。グラスビーのThe Dark Destroyerという長編を8年前に弊ブログで取り上げたことがある*1が、今度は暗黒最終戦争三部作を紹介させていただきたい。

 The Coming of Cthugha, Dawn of the Old Ones, Dark Armageddonの全三巻から成る長い作品で、いうなれば『永劫の探求』のグラスビー版だ。Weird Shadows Over Innsmouthで「グラスビー最大の野心作」と銘打たれ、その刊行が予告されているのを見かけた記憶があるが、実際に世に出たのは彼の没後になってからだった。
 内容はジョン=マッキンリック教授と仲間たちが旧支配者の脅威に立ち向かうというものだが、第一巻の表題に名前が出ていることからも窺えるようにクトゥグアが目立っている。最終決戦の場面では恒星よりも巨大な完全体で現れ、グリュ=ヴォの周りに旧神が張り巡らしたバリアに体当たりをかますという力技を見せてくれた。なおグラスビーは元々クトゥグアに関心があったらしく、彼の神の眷属にまつわる"The Black Mirror"という短編も発表している。*2
 ラバン=シュリュズベリイ教授は若者を雇っていたが、マッキンリック教授の協力者は主におっさんだ。一刻の猶予もならない事態なので即戦力重視ということだろうが、彼らの奮闘も虚しくクトゥルーとクトゥグアが復活してしまった。いずれも四大首領に名を連ねる大邪神だが、積年の恨みを晴らすべく旧神に襲いかかるのかと思いきや、太陽系で呑気に縄張り争いを始める。クトゥルーとクトゥグアはそれぞれ木星土星に陣取ってビームを撃ち合い、土星が破壊されるという惨事に至ったが、まだ惑星規模の災害なので序の口だ。ついに宇宙の中心部で動き出したアザトースは猛烈な勢いで膨張していき、次々と星が飲みこまれていく。 旧支配者はなぜ旧神に反逆したのかという謎の回答は旧神自身がマッキンリックたちに語っている。旧神と旧支配者は本来ひとつの種族であり、高次の世界からやってきて宇宙の誕生に寄与した。彼らは宇宙の成長を見守り、終焉が訪れた後で自分たちの世界に帰還する計画だったが、その予定を早めようとして叛乱を起こしたのが旧支配者だった。しかし旧神は熾烈な戦いの末に鎮圧に成功し、旧支配者が宇宙の各地に封印されることになったのは周知のとおりだ。
 旧支配者は計り知れない歳月を眠ってばかりいたわけではなく、自分たちが幽閉されている牢獄を要塞へと作り替えていた。たとえ再度の大戦に敗北しても、元いたところに退却して捲土重来を期せばいいというわけだ。解き放たれた旧支配者は宇宙のあちこちで暴れ回っていたが、マッキンリックたちは敵の留守に乗じてルルイエやフォーマルハウトやハリ湖に乗りこみ、邪神の拠点を破壊して退路を断つ。このとき、定かでないシュブ=ニグラスの居場所を突き止めるのに使われたのが「ヒアデスの指輪」だった。これは持ち主をシュブ=ニグラスのもとへ連れて行くアイテムなのだが、1989年に発表された"The Ring of the Hyades"が初出であり、グラスビーにとって暗黒最終戦争三部作が己の神話作品の総決算だったことが窺える。なおヒアデスといえばハスターゆかりの星団なのにシュブ=ニグラスと関連づけられているのは両者が夫婦だからで、この辺はリン=カーターの設定を踏襲していることになる。 しばらく局地戦が続いたが、戦いの帰趨を決めるのは旧神が作り出したフタスと呼ばれる結晶体だった。フタスは神々を高次の世界に強制送還してしまえるという絶大な威力を有するアイテムだが、リン=カーターの「暗黒の知識のパピルス」で言及されている『旧神の鍵』と似たような位置づけといえるかもしれない。フタスはアザロースという旧支配者が大戦の際に旧神から盗み、遙か未来の地球に隠していた。マッキンリック教授の片腕であるエドマンド=トレヴェリアンは最終兵器を回収するために時空の果てへ旅立ち、異星人のザア=グスも助っ人として同行する。目指すは宇宙が膨張しきって収縮に転じる瞬間、時間というものが存在しなくなる地点だ。どうして旧神が直々に手を下さないのかといえば、旧神が旧支配者を封印できるのと同様に、旧支配者も旧神の力を無効化することが可能なので、相殺されることがない人間の力が必要になるのだった。同じ問題にブライアン=ラムレイのクロウ・サーガでは「35億年も前のことなので、やり方を忘れてしまった」と脱力したくなるような理由付けをしていたが、グラスビーの説のほうが旧神の格を落とさずに済んでいるとはいえそうだ。
 トレヴェリアンはザア=グスの助力もあってフタスの入手に成功するが、グリュ=ヴォへ引き返す途中でアザロースに追跡され、時空の狭間で迷子になってしまう。マッキンリックたちが彼の帰りを待ちわびている間に旧支配者がグリュ=ヴォを包囲する。旧神の都は猛攻撃を加えられて陥落寸前になるが、間一髪で帰還したトレヴェリアンが最終兵器の力を発動させ、この宇宙から邪神を一掃するのだった。
 戦いは終わった。マッキンリックたちは地球に、ザア=グスも自分の星に帰る。彼の星は宇宙の中心付近にあり、とっくにアザトースの餌食になってしまったかもしれないのだが、もはや存在しないかもしれない故郷に彼はそれでも帰っていく。グラスビーはさらっと書いているが、この場面はかなり切ない。
 旧支配者は宇宙からことごとく消え去ったかのように思われたが、そのとき異様な天文現象が観測された。プロキシマ=ケンタウリが超新星爆発を起こして消滅したのだ。あんなに軽い恒星が超新星になるはずがないが、這い寄る混沌の仕業だとしたら――と気づくマッキンリック教授。なぜかナイアーラトテップが居残っていたのだ。旧神に封印されなかった彼のこと、フタスの影響を受けなくても不思議ではないだろう。かくしてマッキンリックたちは新たな戦いのために出発するのだった。ナイアーラトテップはちまちま星を破壊するという地味な嫌がらせをしているだけなのだが、それこそが人類にとっては未曾有の危機に他ならないわけで、いささか皮肉の効いた結末だと思う。
 『永劫の探求』のグラスビー版だと先に申し上げたが、クライマックスで旧支配者の軍勢が旧神の都まで攻め寄せてくることを考えると、むしろクロウ・サーガを比較対象にしたほうがいいかもしれない。描写の荘厳さ、ストーリー展開の緻密さ、科学知識の正確さなどでグラスビーはラムレイを上回っているのだが、だからといってラムレイより面白いという結論にはならないのがつらいところだ。人気作家として世界に名をとどろかせたラムレイと、そうならなかったグラスビー。ダーレスから与えられたチャンスをつかめたかどうか以外にも二人の違いはあるのかもしれない。
 グラスビーの作品は作りが丁寧なのだが、反面クトゥルー神話教則本みたいなところがある。壮大で華麗な交響曲だけが音楽ではなし、エチュードもいいものだと私は思っているのだが、そればかり何時間も聴かされるとなると話は別だ。グラスビーの遺作にして渾身の大作ともいうべき暗黒最終戦争三部作だが、その評価はどうしても微妙なものにならざるを得ない。
 それでも私はグラスビーが好きだ。もしもダーレスが長寿を保ち、彼の神話作品集をアーカムハウスから刊行することができていれば、今頃グラスビーは我が国でもベイジル=コッパー程度の知名度は得ていたかもしれない。ちょっと惜しいような気がする。