新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

死は象の姿をして

 ヒンドゥー教の象神ガネーシャがチャウグナール=ファウグンの化身だと言い出したのは誰なのだろうか。C.A.スミスは1934年6月16日付のラヴクラフト宛書簡で「ガネーシャ=チャウグナール」という言い方をしているが、小説においてはロバート=ブロックの"Death Is an Elephant"が最初であるように思われる。この作品の初出はウィアードテイルズの1939年2月号、題名はヴェイチェル=リンゼイの詩「コンゴ」の一節を借用したものだそうだ。
rpo.library.utoronto.ca
 語り手はサーカスで広報担当の仕事をしている男だ。何か目玉になる見せ物が必要だというわけで、アジアから珍獣を仕入れてくることを思いつく。つてはあるのか? と団長は訊ねる。
「ありますよ」
 インドの小さな藩王国に白象がいるのだと彼は説明する。大英帝国政府が年金の支払いを打ち切ってしまったので藩王は困窮しており、対価次第では白象を売ってくれるはずだった。そこで語り手と団長はインドまではるばる出かけていく。
 二人を出迎えた藩王は洒落たスーツを着こなし、流暢な英語を喋る人物だった。彼の所領では象神ガネーシャに対する信仰が盛んで、白象はガネーシャの御使いとして尊ばれている。藩王が団長と語り手に見せた白象は、白銀のような肌を持ち、世にも美しい生き物だった。これなら大人気になると喜ぶ二人。しかし白象を売却することはできないと藩王は彼らにいう。西洋の文化に順応しているように見えた藩王だったが、ガネーシャの怒りを買うわけにはいかないのだった。
 ガネーシャ信仰の歴史は古く、キリストや釈迦が地上を歩む前までさかのぼるものなのだと藩王は述べる。かつてガネーシャはチャウグナール=ファウグンとして、その前にはツァトゥグアとして崇拝されていた。これではチャウグナール=ファウグンとツァトゥグアが同じ神様のように聞こえるが、ブロックがそのように書いた理由は不明だ。何にせよ、異民族の信仰に対する敬意は当時のパルプ作家には微塵もなかったようだ。
 結局、藩王は白象をサーカスに貸与することにした。ガネーシャの巫女だという美少女リーラが白象に付き添い、また藩王本人も同行する。こうして白象が米国にやってきたが、その日からサーカスでは団員が次々と怪死するようになった。いずれも並ならぬ古強者のはずなのに、何かに魂を奪われたかのように動作を止めたり狂わせたりし、そして演技は大惨事と化すのだった。
 リーラの仕業だと藩王は語り手にいう。彼女には催眠術の能力があるのだ。ガネーシャ教団の幹部である長老たちが彼女に命令したのだろう。神聖な獣をサーカスの出し物にされたことに腹を立て、復讐しようとしているのだ。すべては自分が蒔いた種だから、自分が落とし前をつけることにしよう――藩王は決然とした表情だった。
 そして次の日の公演。リーラを背に乗せた白象が観客の前に姿を現す。リーラの眼は妖しく輝き、さらなる災厄を彼女がもたらそうとしていることは明らかだった。藩王は短剣をリーラに投げつける。短剣は狙い過たずリーラの喉を貫き、怒り狂った白象が藩王を踏み殺す。白象も射殺され、すべては終わった。
 実は語り手の手下が直前にリーラを狙撃しており、藩王の英雄的な行為は無駄だったということが最後に明かされている。この辺の意地悪さがブロックらしい。彼の作品にしてはおもしろくないというのが率直な感想なのだが、リーラに操られた軽業師が転落死する直前の描写はブロックらしく見事だった。

The Tindalos Cycle

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