三尖の災厄
スプレイグ=ディ=キャンプは1955年に「焔の短剣」を発表したが、これはロバート=E=ハワードの"Three-Bladed Doom"を書き直して主役をコナンに差し替えた作品だ。では元々の主人公は誰だったのかというと、エル=ボラクことフランシス=ゼイヴィア=ゴードンである。
ゴードンの朋友である族長バベル=ハーンは独立色が強く、アフガニスタンの国王からは危険人物と目されていた。国王がバベル=ハーンを討伐しようと企てていると知ったゴードンは、バベル=ハーンに恭順を表明させることによって争いを回避しようと首都カブールを発った。
一方、王宮では正体不明の刺客が国王を襲撃していた。からくも難を逃れた国王は、刺客の持っていた短剣の刃が三つ叉になっているのを見て恐れおののく。南アジアや西アジアの各地で猛威を振るっている暗殺団の象徴に違いなかったからだ。すでに何人もの王や首長が凶刃の犠牲になっていた。
バベル=ハーンに面会したゴードンは説得を試みるが、彼は頑なだった。そこへカブールからラル=シンが到着し、国王が暗殺団に狙われているとゴードンに告げる。ロシア帝国かドイツ帝国が陰で糸を引いているのではないかと疑うゴードン。
「ところで」とバベル=ハーンが話題を変えた。「見知らぬ男が崖から落ちて死にかけているのが見つかってな。結局、意味不明なことを口走りながら死んでしまったのだが、悪魔憑きだと村人が怖がってのう。とりあえず骸はそこの小屋に寝かせてあるよ」
ゴードンたちは死体を見に行った。その男はモンゴル系とおぼしき外見で、三つ叉の短剣が染め抜かれた肌着を身につけている。これは暗殺団の一員ではないかと思ったゴードンは、男の発見された場所を検分することにした。その場所の先にあるのはグーリスタンと呼ばれる地で、祟りがあると信じられているため誰も立ち入ろうとしない。ゴードンがカブールに帰ってくることが国王の望みだったが、彼は仲間たちとともにグーリスタンへ乗りこんでいく。
野営しているゴードンたちをさっそく敵が襲撃した。アフメッド=シャーは殺され、ラル=シンは連れ去られてしまう。バベル=ハーンに援軍を要請するようゴードンはヤル=アリ=ハーンに言いつけ、独りで先に進んだ。
ゴードンが崖を登ると、そこにあったのは壮麗な街だった。警護に当たっていたクルド人の一団がゴードンを取り囲む。しかし彼は怯まず、彼らの頭目のユスフ=イブン=スレイマンという男に話しかけた。
「俺もこの都で暮らしたいのだ。首長のところへ連れて行け」
街の名はシャリザハルといった。ゴードンはユスフらに連れられて市内に入り、首長のオスマン=エル=アジズと面会する。ゴードンの侵入を許したユスフと手下たちは警戒を怠ったと咎められ、牢に入れられてしまった。エル=ボラクの名声は天下に鳴り響いており、彼を味方に引き入れることができれば大きな戦力になると考えたオスマンは己の野望を明かす。
「かつて暗殺教団を率いて怖れられた〈山の老人〉、わしはその末裔なのだ。暗殺教団を再興し、アジアを支配することこそがわしの目標だ!」
しかしオスマンはゴードンの処遇をすぐに決めようとはせず、バギーラすなわち〈豹〉と呼ばれている人物の到着を待つことにした。どうやら彼は自分で豪語しているほどの大物ではなく、裏で何者かに操られているようだ。シャリザハルの建設には莫大な費用が必要なはずだし、やはり西欧列強が策動しているのではないかとゴードンは考えた。
ゴードンは個室に案内されて御馳走を振る舞われるが、肌も露な格好をした少女がそこに入ってきた。彼女を見て驚くゴードン。少女はアジズンといって、ゴードンの親友の妹だったのだ。自分はデリーで拉致されてシャリザハルに連れてこられ、性奴隷にされたのだとアジズンは語りました。同じような目に遭っている娘が大勢いると聞かされてゴードンは怒りを燃え上がらせ、シャリザハルから邪悪を一掃せずにはおくものかと誓う。
ラル=シンの囚われている場所をアジズンに教えてもらったゴードンは彼を密かに脱獄させ、何食わぬ顔で自分の部屋に戻った。しかし現れたバギーラを見たゴードンは潜入作戦の失敗を悟る。バギーラの正体はゴードンの宿敵イワン=コナチェフスキーだったのだ。案の定コナチェフスキーはいった。
「エル=ボラクが我々に寝返るはずがない。スパイに決まっている」
「貴様が仕えているのはロシア皇帝か――それとも他の誰かか?」とゴードンは訊ねた。
「今さら知って何になる?」
コナチェフスキーほどの悪党が一介のエージェントに甘んじるはずもなく、自らアジアに覇を唱える帝王たらんとしているのだろうとゴードンは考えたが、詮索している暇はなかった。ゴードンは不意を突いてコナチェフスキーを殴り倒す。しかし所詮は多勢に無勢、もはやこれまでかと思われたとき、駆けつけてきたラル=シンが敵に銃弾を浴びせた。彼の助太刀を得たゴードンは部屋から脱出する。
ゴードンが庭園に逃げこむと、なぜか敵は後を追おうとはせず、ひとしきり彼を嘲笑してから引っこんでしまった。砕かれた骸骨があちこちに散らばっており、庭園は一種の処刑場として使われている模様だ。果たせるかな、巨大な白猿が現れてゴードンに襲いかかった。この怪物を斃したゴードンは、ヤル=アリ=ハーンとの合流をラル=シンに指示する。
「しかし、あなたはどうするのですか?」とラル=シンは訊ねた。
「俺は宮殿の中に戻り、君たちを迎え入れるための準備をする」
「無謀すぎます、なぶり殺しにされてしまいますぞ! それに、引き返そうにも手立てがありません」
「そうでもないさ。あの白猿は人間を殺すが、喰いはしない。やつが食べるのは植物性のものなのだ。だから誰かが必ず給餌のために扉を開けるはずだ。その隙に入りこむ」
ゴードンの読みは当たっていた。ラル=シンを送り出した彼が出入口のそばで待っていると、白猿に与える果物や野菜を持った男が扉を開ける。男の首をへし折って宮殿に潜入したゴードンがアジズンを助け出そうと牢屋へ向かうと、そこにはユスフと手下どもがいた。任務失敗のかどで処刑されるのを待っているのだが、オスマンの非道な仕打ちに怒り狂っている。ゴードンはいった。
「オスマンが君たちに与えるものは惨めな死だけだろう。俺と共に来れば、栄光ある死と復讐の機会を約束するぞ」
「部族の名誉にかけて誓うぞ、エル=ボラク!」彼らは一斉に返事をした。
ユスフたちを牢獄から出したゴードンはオスマンの部屋に乗りこんだ。オスマンはアジズンを自ら拷問しようとしているところだったが、そこに飛びこんでいったゴードンは彼を一刀のもとに斬り捨てる。小悪党にふさわしく、あっけない最期だった。
「君に重要な仕事を頼みたい」とゴードンはユスフにいった。「俺の仲間が到着したとき、扉を開いて彼らを迎え入れるのだ」
作戦の成否を分ける任務なのに、成り行きで仲間になっただけのユスフにやらせるとはむちゃくちゃだ。しかしゴードンは彼の心意気に賭けた。ユスフを扉のところに残し、他の者たちは中庭の塔に立てこもる。塔には武器と弾薬がふんだんに備蓄してあって敵を寄せつけないが、コナチェフスキーは破城槌を繰り出してきた。これには対抗する術がない。
「援軍は間に合わなかったようだ」とゴードンはクルド人たちにいった。「もうじき塔の扉が破られる。奴らが階段を上ってきたら一暴れしてやろう。それが俺たちの最期だ」
「神は偉大なるかな!」男たちは凄絶な笑顔で吼えた。「いいとも、ただでは死なないぜ!」
わけがわからないが、とにかく熱い。その時、一斉射撃の音が聞こえてきた。バベル=ハーンに率いられた援軍がぎりぎりのところで間に合ったのだが、彼らが攻め寄せてきたのはゴードンの予期した搦め手ではなく正面からだった。ゴードンの姿が見当たらないので、彼が死んだと思いこんで頭に血が上ったヤル=アリ=ハーンたちはいきなり突撃してしまったのだ。敵の歩哨が油断していたのは幸運としか言いようがなかった。
戦闘が始まったが、コナチェフスキーはさすがに狡猾で、バベル=ハーンたちをおびき寄せて殲滅しようとする。塔の上からは戦況がよく見えるが、戦いに加わることができずにゴードンは切歯扼腕した。その時、1階の床に落とし戸があることがわかった。オスマンしか知らない秘密の地下道で塔と宮殿はつながっていたのだ。ゴードンたちが地下道を通り抜けると、その先にはユスフとラル=シンがいた。
「おお、生きていたか!」
「私は万死に値します」とラル=シンはいった。「任務を果たせませんでしたから」
ラル=シンは足を滑らせて崖から落ちてしまい、しばらく意識を失っていた。その間にヤル=アリ=ハーンたちが攻撃を開始してしまい、合流に失敗したラル=シンはとりあえず手勢をかき集めて宮殿に乗りこんだのだ。そしてユスフと鉢合わせしたところだった。
ゴードンたちは敵の背後を突き、挟み撃ちにした。ハワードの後期の作品が初期のそれと異なる点のひとつは、集団同士の戦闘が描かれていることだという指摘がある。とりわけエル=ボラクの物語ではそれが顕著だが、統率力においてゴードンはコナン・カル・ブラン・ケインの四大ヒーローをも上回るかもしれない。だが、いま繰り広げられているのは敵味方が入り乱れての乱戦であり、もはや戦術もへったくれもなかった。ただ斬りまくるだけだ。とうとうゴードンとコナチェフスキーは対峙した。
「さあ来い、貴様の命日だ!」コナチェフスキーは哄笑した。ゴードンはライフル銃を棍棒代わりにして彼に立ち向かおうとする。
「いけません、これを!」慌ててラル=シンが剣を渡した。ゴードンとコナチェフスキーは激しく斬り結び、死闘の末にゴードンが一騎打ちを制する。そのとき一発の銃弾が頭をかすめ、ゴードンは昏倒した。彼が息を吹き返したとき、ヤル=アリ=ハーンが号泣している最中だった。
「生きておられたか」ゴードンは血まみれのバベル=ハーンに挨拶した。
「太腿に弾を受けただけよ。何ともないわい」バベル=ハーンはにやりと笑った。「お主こそ死んだものとばかり思ったぞ」
「はん!」さっきまで泣いていたのを忘れたかのようにヤル=アリ=ハーンは得意満面だ。「いわなかったか? エル=ボラクの頭はな、銃弾くらいではびくともせんのだ!」
ゴードンが周りを見回すと、至るところに敵味方の遺体が散乱していた。戦いには勝ったものの、犠牲は大きかったのだ。ゴードンが悲痛な思いでいると、ユスフがやってきた。折れた剣を携えている。
「エル=ボラクよ、俺は信義に報いたよな?」とユスフはいった。
「報いたとも。だが、なぜ俺に訊ねる? 俺は一度たりとも君の誠心を疑いなどしなかったぞ」
ユスフは溜息をつき、折れた剣を膝の上に置いて座りこんだ。
「勝ったとはいうものの、これから我らは国王に追われる日々だのう」とバベル=ハーンがいった。
「そんなことはないさ」とゴードンはいう。「暗殺団を滅ぼすという大手柄を立てたのだから。俺はカブールに戻り、あなたをシャリザハルの知事に任命するよう国王に進言してくる。万が一にも却下はされないだろう」
「お主の器の大きさに、わしは自分が恥ずかしいわい」バベル=ハーンは自分のひげを引っ張った。「エル=ボラクよ、お主は皆に福をもたらした。お主自身はどうする?」
「そうだな。ようやく体が動くようになってきたから、負傷兵の看護を手伝わせてもらうか」
「そんなことは、わしの部下にやらせておきなさい。お主は疲れ果てているはずだ」
「何時間か眠れば元気になる。そうしたら、まずアジズンを送っていこう。それからカブールに行って国王に顛末を報告し、あなたを知事にしてもらう」
「その後でシャリザハルに戻ってきてくれるのだな?」
「いや、俺はインドに行く。アジズンを拉致した男に復讐しなければならないからな」
「いやはや、恐れ入ったわい!」
ゴードンは立ち上がり、ラル=シンとユスフが持ってきてくれた水を受け取った。バベル=ハーンは首を振り、エル=ボラクの勇姿に見入るのだった。
4万2000語と長めの作品だが、受理してくれる雑誌はなかった。そこでハワードは文章を削って2万4000語に縮めたのだが、短縮版も一向に売れなかった。結局、陽の目を見たのは1970年代になってからだったという。これだけの作品を書いても実らず、挙句の果てに他人が魔改造した代物が先に出版されてしまうとは、さても因果な稼業だ。