『無名祭祀書』の著者フリードリヒ=フォン=ユンツトには子孫がいたそうだ。ラヴクラフトが1932年1月28日付のダーレス宛書簡でそのように述べている。
長らく封印されていたデュッセルドルフの屋根裏部屋でフォン=ユンツトの曾孫が先祖の遺稿を発見し、しかる後に自らの喉を切り裂いて自殺したのはなぜなのか、いつの日か婉曲に語ってみようかなどと考えているところです。
『無名祭祀書』を創造したのはロバート=E=ハワードだが、ドイツ語の「原題」をつけてやることを提案したのはラヴクラフトである(参照)。のみならず著者の子孫の運命まで語りたがるあたり、ラヴクラフトはこの魔道書を気に入っていたものと見える。