新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

クトゥルーよりも怖いもの

日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏
日本人にも怖いクトゥルー神話
 私としては2番目の記事に賛成で、今さら付け加えることもないのだが、ラヴクラフトの名を不朽のものとするために生涯を捧げたダーレスの見解をついでに見ておこう。1963年に刊行されたアンソロジーWhen Evil Wakes *1の序文でダーレスは次のように述べている。

 人類の想像力が生み出すものなど、ベルゼンやダッハウそして核戦争の恐怖に匹敵することは決してない。それらはすべて――ドロシー=L=セイヤーズが何十年も前に指摘したように――外なる悪から内なる悪へと我々が進化したことを示すものである。だが、人間が人間に対して非人間的になれることの怖ろしい実例がそのように存在するからといって、現代の真正の恐怖よりは規模の小さい架空の戦慄に対する読者個人の愛着がさほど減じられるということもないのだ。

 つまり、ダーレスにしてからがラヴクラフトの作品をそんなに怖がってはいないのである。「アメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか」という疑問に対する回答の一例にはなるだろう。
「ベルゼンやダッハウそして核戦争の恐怖に匹敵することは決してない」という発言は、怪奇作家としては敗北宣言に等しい。反面、ダーレスは分をわきまえた作家だったということもできるだろう。穿った見方をすれば、本職が純文学作家なので怪奇に執着しなかったのかもしれない。

*1:このアンソロジーにはラヴクラフトの「レッドフックの恐怖」も収録されている。