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主にクトゥルー神話のことなど。

アザトース

 ロバート=プライスがThe Azathoth Cycle の序文でアザトースの起源を考察している。

「アザトース」の結末は「未知なるカダスを夢に求めて」の中で語られているとウィル=マレーは慧眼にも推測している。「アフォラートのゼニグは凍てつく荒野のカダスに辿りつこうとし、今や彼の髑髏は指輪にはめ込まれている。その指輪を小指にはめているのが誰かは名指しするまでもあるまい」アザトースは「カダス」において「その名を敢えて声高に呼ばわる者なし」といわれている。したがって、ここで意味されているのもアザトースだろう。マレーの推理とは? この記述は「蕃神」の粗筋を踏まえているようだ。「蕃神」では、もう一人の不運な探索者が蕃神を探し求め、天空に吸い込まれることによって己の愚行の代償を支払う。「カダス」の至るところにラヴクラフト初期のダンセイニ風作品の粗筋が散見されるが、それらにとって「カダス」は一種の白鳥の歌となっている。ゼニグの逸話はこれらの簡潔な粗筋にきわめて似通っているので、実は断章「アザトース」の粗筋なのだというのがマレーの結論だ。マレーが正しいことは間違いない。物語の骨子は主人公の哀れむべき傲慢さであり、彼の英雄的な努力は魔皇の小指の指輪を飾ることにしかならなかったのである!

 ラヴクラフトの当初の構想では、「未知なるカダスを夢に求めて」のクライマックスでランドルフ=カーターと対面するのはナイアーラトテップではなくアザトースだったらしい。

当初ラヴクラフトが思い描いていたアザトースは、万有の中心で闇雲に吼える狂気の混沌神という現在の姿からは大きくかけ離れたものだった。本来のアザトースは「ヴァテック」のラヴクラフト版ともいうべきものだった。超越的な存在ではあるが、人格神(指輪をはめて玉座に座したスルタン)だったのである。

 ところでアザトースの称号である"Daemon-Sultan"は「魔王」と訳されるのが普通だが、個人的にはむしろ「魔皇」と訳したい。魔王ではどうもインパクトが弱いような気がする。

The Azathoth Cycle: Tales of the Blind Idiot God (Call of Cthulhu Fiction)

The Azathoth Cycle: Tales of the Blind Idiot God (Call of Cthulhu Fiction)