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主にクトゥルー神話のことなど。

深淵の夢

 今から100年前に書かれた作品として「イラノンの探求」を一昨日の記事で取り上げたが、ラヴクラフトは同じ年に「蕃神」も執筆している。The Fantasy Fanの1933年11月号に「蕃神」が掲載されたとき、ラヴクラフトは1933年11月29日付のクラーク=アシュトン=スミス宛書簡で次のように述べた。

FF誌の最新号はかなり気に入りましたし、あなたの「深淵の夢」が載っているので嬉しいです。私の「蕃神」はダンセイニ模倣期の遺物ですが、思い出して嫌な気分にならずに済む数少ない作品のひとつです。

 「イラノンの探求」よりもちょっとだけ自己評価が高い。「蕃神」は「未知なるカダスを夢に求めて」につながるという意味でクトゥルー神学的に重要な小説だと思うが、それはさておき一緒に掲載された「深淵の夢」はいかなる作品だったのだろうか。
 これは詩で、原題を"A Dream of the Abyss"という。以前にも述べたように*1The Fantasy Fanの1933年11月号はプロジェクト=グーテンベルクで公開されており、"A Dream of the Abyss"も読むことができる。せっかくだから訳してみよう。

深淵の夢
クラーク=アシュトン=スミス

我 最果てに在りと思いたり
我が眼は神秘と夜の直中に在りて
厚く深々と死に包まれたるが如く
はたまた黄泉の淀みの底に沈みたるが如く
灯火も星も 死せる星の幽かな光も見えず
されど我 世界の最果てに在りと思いたり
我は戦々恐々と緩慢に呼吸せり
静謐なる深淵より そは不安と恐怖ばかり
周りは断崖絶壁 奈落へと至る
いずれの方向にも一歩も踏み出せず
さもなくば我は縁より足を踏み外し
果てしなく永遠に墜落するばかり
夜が明ければ巨大なる太陽が我を見送ろう
世界の砦より 虚無を落ち行く我は
太陽の眼差しも届かぬところへと

無限より速やかに 星々の間に住まう
黒く不定にして甚大なる〈恐怖〉が
大いなる冷たき暗黒にて我が心臓を掴みぬ
そのとき深淵より立ち上るは囁き
そして翼を備えたる〈沈黙〉の如きさやめき
我が右手の傍らに
留まりて佇みぬ
いかなる奈落の力か 盲目の黒き大気より生まれ
いかなる無名の魔神か 遙かなる地底の
太陽より逃れ月光より離れて暮らす
そは来たりて我に破滅をもたらすもの
我が聞く間もなく囁きは静まりかえり
より重き暗黒が我に躍りかかると見えたり
そして静寂は跳躍し
我を抱擁した
深淵は一挙に我を捕らえ
崩れゆく峰の頂より我を引きずり去りぬ
未知なる虚空へと
その奈落の領域を落ち行く我は
アザゼルアバドンが我を連れ去るのか
はたまた我独り墜ちるのかも知らず

 題名から察するに、夢の光景を描いた詩だ。世界の果てで足を踏み外したら一巻の終わりだと用心していたのに、結局は深淵に引きずりこまれるように転落してしまった。理不尽だが、悪夢とはそういうものだろう。拙訳ではわかりづらいのだが、原文は一貫して過去形になっており、目を覚ました作者が夢の内容を振り返っているという印象を受ける。
 余談だが、先ほど引用したラヴクラフト書簡の出だしは「凍てつく荒野にて未知なるカダスの頂、耐えがたき光景を見はるかす」となっている。そういえばランドルフ=カーターも「未知なるカダスを夢に求めて」の大詰めでシャンタク鳥の背から飛び降りているが、この時点ではスミスは「カダス」を読んでいないので直接の関係はない。