ウィンフィールド・フィリップス
またしてもエンサイクロペディア・クトゥルフの話で恐縮だが、ウィンフィールド=フィリップスの項を引いてみる。
その後1929年に彼はラファムの元を去り、死んだおじの地所があったハイラム・ストークリイに住むようになった。彼はそこで1年後に死んだ。
『エンサイクロペディア・クトゥルフ』(新紀元社)229ページ
この箇所が原書でどうなっているか確認してみよう。原書を貸してくださったうしとらさんに再び感謝する。
He then left Lapham's services in 1929 to live on the estate of his late uncle, Hiram Stokeley, where he died a year later.
というわけで、問題はないように思える。ただ、この記述の典拠となっているリン=カーターの「ウィンフィールドの遺産」(The Winfield Heritance)*1を読むとわかるのだが、ハイラム=ストークリイというのは地所の名前ではなくウィンフィールドのおじの名前なのだ。したがって私が訳すとすれば「亡きおじハイラム=ストークリイのものだった地所に……」となる。
なおウィンフィールドが1929年にラファム博士の助手を辞めたというのも正しくないが、これはそもそも原文が間違っているためである。『エンサイクロペディア・クトゥルフ』の改訂版であるThe Cthulhu Mythos Encyclopediaでは「1929年」が「1936年」に訂正されている。