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「アウトサイダー」余話

 「アウトサイダー」について、ラヴクラフトは1931年6月19日付のヴァーノン=シェイ宛書簡で次のように述べている。

私は無意識のうちにポオを逐一なぞっており、その極致として「アウトサイダー」は代表的なものです。当時は作風を真似るだけでなく、作品の精神まで反映させずにはいられなかったのです。

 所詮は真似事と厳しめだが、ラヴクラフトの自己評価が低いのは毎度のことだ。1921年はラヴクラフト自身が「ダンセイニ模倣期」と呼んだ時期なのだが、ダンセイニではなくエドガー=アラン=ポオに源流があるという点で「アウトサイダー」は異色と見なせるかもしれない。
 ラヴクラフト自身の評価はさておき、彼の友人たちの間では「アウトサイダー」は人気があった。たとえば1930年11月2日付のダーレス宛書簡でスミスは「アウトサイダー」に言及している。

同封してあるのは「アヴェロワーニュの逢引」のカーボンコピーです――君が読みたがっていた吸血鬼の話ですよ。未発表の「サタムプラ=ゼイロスの話」と「死の顕現」も別途お送りしますね。いずれライトが再考してくれない限り、2編とも売り物にはならないだろうと思います。「死の顕現」はいくらかラヴクラフトの「アウトサイダー」を思い出させるかもしれません――でも「アウトサイダー」を読む前に書いた作品なんです。

 影響を受けたわけではないと断りを入れるあたり、それくらい「アウトサイダー」が愛好されていたことが逆説的に窺える。ところで「死の顕現」が書かれたのはラヴクラフトの別の作品がきっかけだった。その作品というのは「ランドルフ=カーターの供述」で、再読して強い感銘を受けたスミスは「死の顕現」の執筆に取りかかって3時間で書き上げたと1930年1月27日付のラヴクラフト宛書簡で報告している。ラヴクラフトは1930年2月2日に返信し、「ランドルフ=カーターの供述」を書いた甲斐があったと喜んだ。
 ドナルド=ワンドレイも「ランドルフ=カーターの供述」に対する「一種の答案」として"The Chuckler"なる短編小説を書いたことがある。*1ただし"The Chuckler"のウォルトンも「死の顕現」のトメロンも墓場に侵入された側であり、いうなれば「ランドルフ=カーターの供述」を逆側から見たような形になっている。その結果として「死の顕現」は「アウトサイダー」に近づいたのだろう。
 また、スミスはアーサー=マッケンの「パンの大神」を読んで「名もなき末裔」の執筆を思い立ったというが、その構想を彼から聞いたラヴクラフトは1931年2月8日付の返信で「ランドルフ=カーターの供述」に言及した。

おぞましい招喚によって魔物が誕生し、その出産に立ち会った医師と母親は二人とも衝撃のあまり死んでしまう――そして見とがめられることなく産屋を脱出した魔物は急速に成長していくという話は私もかつて考えたことがあります。怪物はその地方で夜間の恐怖の源となります――窓を覗きこみ、孤独な旅人を貪り食うのです。ですがマッケンがすでに使用済みだと知ったので断念しました。しかしながら、あなたの構想は斬新です――生まれてきた怪物は、ハリー=ウォーランが古代の墓所の地下で暗闇の中の恐怖から命を落とす寸前に目撃したものの仲間ではないかという気がします。

 "The Chuckler"や「死の顕現」を読むに、それまで「ランドルフ=カーターの供述」はアンデッドの話と見なされていたようなのだが、このスミス宛書簡でラヴクラフトは初めて怪物の正体を食屍鬼の類と断定した。ただし、そういう裏設定が前々から存在していたのか、それとも「名もなき末裔」の構想を聞いたことで急に思いついたのかは定かでない。
 「アウトサイダー」の話をするはずが「ランドルフ=カーターの供述」の話題になってしまったが、この作品からは少なくとも2編の小説が派生していたことになる。「ラヴクラフト・サークル」の面々が互いに刺激を与え合っては作品を生み出していたことの好例だろう。