新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

丘の太鼓

 今から100年前、1921年にラヴクラフトが執筆した小説はかなり数が多いが、そのひとつが「アウトサイダー」だ。ウィアードテイルズの1931年6-7月号に「アウトサイダー」が再掲されたとき、クラーク=アシュトン=スミスは1931年6月6日付のダーレス宛書簡で次のように語っている。

WT誌に君の作品が載るのが楽しみです。「古布巾」の最新号には我らが人気作「アウトサイダー」が再掲されていますし、(少なくとも僕の趣味では)ホワイトヘッドの"Hill Drums"も載っているので、注目に値する内容です。繊細な職人芸の"Hill Drums"は大量の暴力的な「アクション小説」の後では癒やしですよ。

 ちなみに、この号にはスミス自身の「秘境のヴィーナス」も掲載されている。「アウトサイダー」は今さら語ることもないほど有名だろうが、スミスが一緒に言及したヘンリー=S=ホワイトヘッドの作品は1873年のデンマーク西インド諸島を舞台にした短編で、英国総領事のウィリアム=パルグレーブ氏が離任することになった経緯を語ったものだ。今のところ邦訳はない。
 デンマーク西インド諸島の首都はシャーロット=アマリーで、大英帝国総領事館もそこにある。だがパルグレーブはシャーロット=アマリーを気に入っておらず、以前の赴任地であるアルメニアトレビゾンドを引き合いに出しては公然と貶すのが常だった。総領事がそんな態度では現地人の悪感情の原因になるので諫めようとする人も少なくなかったが、パルグレーブは頑なだった。
 総領事の無礼な言動を快く思わなかったのがアフリカ系の住人たちだった。彼らはパルグレーブを揶揄し、トレビゾンドに帰るよう勧める歌を作って広めた。その歌詞の意味をホワイトヘッドは作中で丁寧に解説し、さらには楽譜までつけている。したがって実際に歌うことが可能だ。効果は覿面で、パルグレーブはその歌が頭から離れなくなってしまった。
 ある日、パルグレーブは総督のところへ挨拶に行った。宴会が開かれるので総督府付の楽団が音合わせをしているが、オーボエ奏者が何気なく例の歌を吹き鳴らし、パルグレーブは這々の体で退散した。もはや旋律が聞こえただけでも脳内で自動的に歌詞が補完されてしまうのだ。
 その次の日、早起きしたパルグレーブはペンを手に取って書簡をしたためたが、後から読み返しても自分が書いたという記憶はなかった。パルグレーブはその手紙を捨てるつもりでいたが、いつの間にか見つからなくなってしまった。
 日々は平穏に過ぎていった。パルグレーブはもう歌が気にならず、シャーロット=アマリーに馴染みつつあったが、英本国からの郵便物を運んでくる汽船ハイペリオン号が到着した。そしてパルグレーブが受け取ったのは、自分が出した異動願いが承認されたという外務次官からの書状だった。今さら西インド諸島から立ち去る気にはなれないが、仕方なくトレビゾンドへの引っ越しの支度をするパルグレーブ。御者のクロードがいった。
「閣下は出て行かれるのですね」
「ああ――すぐに発つことになるよ」
 気のない様子でパルグレーブは返事をし、それっきりクロードや他の使用人が彼の異動の話をすることはなかった。ジェノヴァへ行くオランダ船籍の船が3日後に手配できたので、パルグレーブはシャーロット=アマリーに別れを告げることになった。自分が立ち去ることがどうしてクロードにわかったのだろうかと彼は不思議に思うのだった……。
 トレビゾンドに帰れという歌が頭に染みついていたので、無意識のうちに異動願いを出してしまったという話。ようやく西インド諸島での暮らしを受け入れようとしていた矢先に追い出されてしまうのは気の毒な気もするが、身から出た錆ではある。
 短い曲が頭の中で勝手に反復される経験をした人は少なくないだろうと思うのだが、あれは鬱陶しいものだ。軽妙な作品で、癒やしだとスミスがいうのも頷ける。ただ、よく考えると結構おっかない話であるように思われる。

Tales of the Jumbee: And Other Wonders of the West Indies

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