新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ラヴクラフトが戦死した世界で

 Spaceshipは1940年代から50年代にかけてロバート=シルヴァーバーグが発行していたファンジンだ。その17号にレッド=ボッグズの"The Man Who Might Have Been"が掲載されている。ボッグズという人のことを私はまったく知らなかったのだが、ヒューゴー賞のファンジン部門で2回ばかり候補になったことがあるらしい。
fanac.org
 主人公はネッドという名前のカナダ人。第一次世界大戦で出征したことがあり、もう老人だ。この作品は、シルヴァーバーグが発行している「ロケット」というファンジンへの寄稿を頼まれた彼が書いたエッセイという体裁をとっている。いきなりダーレスが実名で登場するのだが、アーカムハウスではなくボーダーランド=プレスという出版社を経営していることになっている。名前から察しがつくように、ウィリアム=ホープ=ホジスンの本を刊行するために創立された出版社だ。さらにThe World Beyond Timeという聞いたこともない題名がホジスンの作品として出てきて、現実とは異なる世界であることがわかる。
 とある作家の話をしよう。あなたはたぶん知らないだろうけど、もしかしたら偉大な幻想作家になれたかもしれない人物の話を――とネッドは語りはじめる。1916年の春、彼の所属する部隊は欧州に渡るべくトロントに集結していた。部隊には米国人も加わっており、その中に彼もいた。彼はハウィーと呼ばれていた。
 自分が書いた小説の粗筋をハウィーは聞かせてくれた。その印象は強烈で、ずっとネッドの記憶に残るものだった。だがフランスに到着すると、ハウィーはあまり創作の話をしなくなってしまった。
 ある晩、ネッドは偵察中に中間地帯で迷ってしまった。気がついたときには、砲撃で地面にできた漏斗孔の中で独りうずくまっており、そこにハウィーがやってきた。彼も偵察任務に従事していたが、ドイツ軍に遭遇して彼だけが生き残ったのだという。
「こんなところに来たことを悔やんでるかい?」とネッドは訊ねた。
「いや、後悔はしていない」とハウィーは答えた。「ここに来なければ、あくせくと怪奇小説を書くだけの人生だっただろう。私には自分の運命がはっきりわかるんだ。今は二度目の人生に違いないという気がするほどだよ」
「戦争が終わったら何をしたい?」
「やっぱり小説を書くだろうね。今でも書きたいとは思っている。でも、もう幻想小説は止めだ。戦争の悲惨さと醜さを書いてやるつもりだよ」
 砲弾が炸裂したが、ハウィーがとっさに身を挺して庇ったのでネッドは一命を取り留めた。だが野戦病院で意識を取り戻したネッドが知ったのは、ハウィーが彼の身代わりとなって命を落としたということだった。
 彼の墓はフランスにある。その名前はもう俺しか覚えていないだろう。戦争さえなければポオやホジスン以上の怪奇作家になれたかもしれない男、そして勇敢な我が戦友。彼のことは絶対に忘れない。その名はハワード=ラヴクラフト軍曹といった。
 というわけで、ラヴクラフトが戦死してしまった世界の話だ。代わりにホジスンが生き延びているようだが、ラヴクラフトがいない世界でもダーレスは偉業を成し遂げるということになっているのは彼への表敬なのだろうか。
 この作品を読んだラムジー=キャンベルは1962年2月2日付の手紙で「どこまで本当のことなのですか?」とダーレスに質問している。「その話は読んだことがありませんが、冗談だろうと思います」とダーレスは回答した。余談だが、シルヴァーバーグ自身も1959年に「クトゥルーの眷属」を発表しており、これは青心社の暗黒神話大系シリーズの10巻に収録されている。