新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

名前にまつわる蘊蓄

 ラヴクラフトは作品の執筆に際して登場人物の命名に気を遣う人だったらしく、ダーレスの原稿を読んで人名に注文をつけたことがあるほどだ。*1そんな彼が1935年3月26日付のダーレス宛書簡で蘊蓄を傾けている。

イヴリンのような名前が女性化するというのは非常に不思議なことでして、この現象は今なお進行中です。好例となるのはシャーリーという姓でしょう。この名前を聞いて私が思い出すのは、ジョージ2世の御世にマサチューセッツ湾直轄植民地の総督を務めていたウィリアム=シャーリーのような人物です。私が子供だった頃には、シャーリーが女性の洗礼名になるというのはイングランドでは思いもよらぬことでした――私の知る限り、米国中どこでもありえないことでしたが、小説や戯曲では稀に使われることがありました。そして――1910年頃に――若い女性でちらほら見かけるようになりました。彼女たちは1890年代に名づけられたのかもしれませんが、むしろシャーリーという名前を気に入って名乗るようにしたのでしょう。

アイルランドでは古風なケルト流の名前をつけるのが流行っているといいます――Patrick KellyがPadraig O'Ceallaighになり、John SweeneyがSean MacSwibhneになるといったようにね。我々の畏友である二丁拳銃のボブもこの風潮に流されてしまい、ミドルネーム(アーヴィンといいますが――南部では200年の伝統がある由緒正しい名前です)を改変して"Robert Eierbihn Howard"と署名する始末です。

 ロバート=E=ハワードがそんなふうに名乗っていたとは聞いたこともなかったのだが、ホンマかいな。EierbihnをGoogleで検索してもラヴクラフトの手紙しか出てこない。