新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

冷戦秘話・ジェニファー計画の真相

 スコットランドの作家チャールズ=ストロスにThe Jennifer Morgue という長編がある。早川書房から邦訳が出ている『残虐行為記録保管所』の続編に当たる作品であり、前作に比べてクトゥルー神話色が濃厚だ。2007年度のローカス賞候補になっている。
 〈ランドリー〉は異次元の魔神に対抗するために英国政府が設立した秘密機関、主人公のボブ=ハワードはそこに勤める諜報員だ。偶然ナイアーラトテップを招喚しそうになったボブはランドリーへの就職を余儀なくされ、普段はITの専門家として情報システムの管理をしているが、人類の命運を賭けた戦いに嫌々ながら駆り出されるのだった。前作でボブが救ったドミニク=オブライエン博士(愛称モオ)も現在はランドリーで働いており、ボブと同棲中である。
 上司である妖怪爺アングルトンがボブを呼び出し、極秘の指令を与える。〈ジェニファー=モルグ〉というコードネームで呼ばれる古のものどもの遺宝が太平洋の底に眠っており、億万長者のエリス=ビリントンがそれを手に入れようとしているので阻止すべしというのだ。ビリントンはロシア海軍護衛艦を買い取り、自家用ヨットの代わりにしているという人物。ボブはビリントンの艦に乗りこんでいくが、ITと呪術を組み合わせて駆使する敵に苦戦を強いられ、しかも007のパロディのような体験をすることになる。たとえば艦上のカジノで情報収集を試みるのだが、博打で負けた分は経費では落ちないと前もって釘を刺されている。だからといって仕事をしないわけにはいかないので、泣く泣く自腹を切って賭ける羽目になるが、もちろん勝てない。
 〈ジェニファー計画〉という名で知られる作戦をCIAが1974年に実行したというのは史実だ。その目的は沈没したソビエト連邦の潜水艦を引き上げることだったが、この作品ではジェニファー=モルグこそが真の狙いだったということになっている。深海を支配する深きものどもの実力について、アングルトンはボブに告げる。

深きものどもは大量破壊兵器として73の海底火山を保有しており、そのひとつが噴火しただけでも高さ20メートルの津波がニューヨークを襲うことになる。しかも、それが彼らの最終兵器であるという保証はない。

 絶望的すぎて笑い出したくなるが、その深きものどもですら古のものどものことは怖れており、古のものどもの超兵器が手に入れば地球の支配者になれるかもしれない。米国の秘密機関〈機密室〉もボブに協力するが、隙あらばジェニファー=モルグを横取りしようと狙っているので油断がならない。まるで狐と狸の化かし合いだ。
 アングルトンやモオだけでなく、ボブの戦友たちも前作から引き続いて登場する。『残虐行為記録保管所』で身を挺して核爆弾の作動を阻止したアラン=バーンズ大尉は無事に退院し、職場に復帰した。ブレインズとピンキーもボブの援護を担当してくれるが、明らかに仕事と趣味を混同している。ブレインズのセリフを引用してみよう。

完全防魔仕様のスーパーカーを用意した。水陸両用でロケットエンジンを搭載してある。それから君の靴には超小型ティリングハースト共鳴器を仕込んでおいたぞ。

 怪しすぎる。ちなみにティリングハースト共鳴器はラヴクラフトの「彼方より」に出てくる装置。異界の存在を可視化するためのものだが、向こうからもこちらが見えるようになってしまうという欠点があることは周知のとおりだ。
 前作ではボブがモオを救出したのだが、今回は逆にモオが助ける側だ。絶体絶命の窮地に立たされたボブを守るために敵陣に乗りこみ、ヴァイオリン型の携行兵器でビリントンの部下をなぎ倒すモオの姿は実にかっこいい。なお、その兵器は「エーリヒ=ツァンの特別製」と呼ばれている。
 笑いあり活劇あり風刺あり、しかし気がつけば読者はボブと一緒に大宇宙の冷厳なる真相を垣間見させられている。ストロスは現在もっとも注目に値するクトゥルー神話作家の一人であり、〈ランドリー〉シリーズ日本語版の刊行が1巻だけで中断しているのは残念なことだ。

The Jennifer Morgue (A Laundry Files Novel)

The Jennifer Morgue (A Laundry Files Novel)

  • 作者:Stross, Charles
  • 発売日: 2009/12/29
  • メディア: マスマーケット