新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ランドリー・殲滅の総譜

 〈ランドリー〉シリーズの6巻はThe Annihilation Scoreというのだが、かっこいい題名ではないか。
 〈ランドリー〉は異次元の魔神に対抗するために英国政府が設立した秘密機関、主人公のボブ=ハワードはそこに勤める諜報員――なのだが、今回の主役は彼の奥さんであるドミニク=オブライエン博士(愛称モオ)だ。ボブは現在モオと別居中であり、今回では影も形も見えない。
 『残虐行為記録保管所』では典型的なさらわれるヒロインに見えたモオだが、今やボブに勝るとも劣らぬ優秀なエージェントになっている。モオが愛用している武器はランドリーから貸与された殺人ヴァイオリンで、彼女からは「レクター」と呼ばれている。これは強力な代わりに使用者の精神を蝕むことが懸念されており、ボブとモオの夫婦仲に破局の危機をもたらした元凶でもある。レクターは1931年にマブゼ博士の注文でエーリヒ=ツァンが制作したと語られているが、してみるとツァンは音楽家ではなく楽器職人なのだろうか。なお作中におけるエーリヒ=ツァンの綴りは"Erich Zahn"で、ラヴクラフトの「エーリヒ=ツァンの音楽」のErich Zannとは異なる。
 旧支配者の復活が迫る中、その影響で超常的な能力を発現させる人間が大量発生していた。当然ながら超能力を悪用する輩もおり、中でもフロイトシュタイン博士と名乗る怪人は社会に対する深刻な脅威だったが、元ネタはルチオ=フルチ監督の「墓地裏の家」だろうか。超能力犯罪に対処するために新しい組織が発足することになり、モオはその長官に任命されたが、あろうことかマリ=マーフィーもその機関に配属される。夫の元カノ、しかも前作で殺しかけた相手が部下という悲惨な人事だが、モオとマリは結構いいチームを作ることになるのだから人間万事塞翁が馬である。さらに2作目のThe Jennifer Morgueでボブの協力者を務めたラモーナ=ランダムも再登場する。深きものどもの血を引くラモーナは人魚のような姿に変化しつつあるらしく、この巻では車椅子を使っているのだが、彼女が元気な姿を見せてくれたのは個人的に嬉しい。
 ランドリーの本部で上級監査官たちに状況を報告するモオ。超能力者は世界中で爆発的に増えつつあるが、発生する問題は各地の文化や信仰に応じて様々だった。「日本はもとより創作を通じて超人に親しんでいるが、幸いにもアニメやマンガは絆と団結を美徳として強調する傾向があり、悪役ですら規律に沿って行動することが多い」などと書かれているのだが、これは褒められているのか皮肉なのか。
 モオの率いる機関にロンドン警視庁からジム=グレイ警視正が出向してきた。彼もまた超能力者で、離婚した前妻との間に娘が一人いる。超能力を使って正義のために活躍するジムがクランツベルク症候群を発症してしまうのではないかと心配しつつ、モオは彼と親密になっていくが、フロイトシュタイン事件は実は警視庁が仕組んだものだった。ジムは知らなかったのだが、彼の上司であるローラ=スタンウィック警視監*1が黒幕だったのだ。
 スタンウィック警視監は超能力犯罪対策のために新組織を立ち上げさせた上で失敗に追いこみ、やはり警察だけが問題を解決できるのだと喧伝しようとしていた。そして緊急事態宣言下で権力を掌握し、大英帝国を完全な警察国家たらしめようという計画だ。折しもBBCプロムスが開催されており、ロイヤル=アルバート=ホールにおびき寄せられたモオは計画の仕上げとして聴衆の前で「カシルダの歌」の伴奏をやらされることになる。黄衣の王の断片が宿っているヴァイオリンを扱えるのはモオだけなのだ。
 黄衣の王がいる異界への門が開きはじめる。もうじき完全体になれるレクターは意気揚々としているが、絶体絶命の窮地に立たされたモオをマリとジムが救った。身体の自由を取り戻したモオは異界にレクターを投げこみ、門が閉じた。かくして8年間に及んだレクターとの付き合いをモオは終わらせ、黄衣の王の降臨は未然に阻止されたのだが、その日ロイヤル=アルバート=ホールでは2000人以上の犠牲者が出たという。スタンウィックの生死は定かでないが、エピローグで「元警視監」と呼ばれているので少なくとも地位は失ったらしい。
 モオが上級監査官のアームストロング博士に顛末を報告し、前作で殉職したジュディス=キャロル博士の後任として監査官に昇進するところで物語は終わっている。アームストロング博士によるとキャロル博士も9年間レクターを使っていたことがあり、これはモオの8年を抑えてランドリーの最長記録だそうだ。ところでレクターは黄衣の王の本体と合一したがっていたようだが、異界に帰って行ったことで結果的に望みが叶ったのだろうか?

*1:一度だけ「副警視総監」と呼ばれる場面がある。