新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ひとつの時代の終わり

 『クトゥルフ神話への招待』には、増田まもる先生による新訳でジョン=W=キャンベルの「遊星からの物体X」が収録されている。作者のキャンベルはアスタウンディング誌の名物編集者であり、黎明期の米SF界における大立者だった。ジョン=W=キャンベルと混同されないようにファーストネームを省略しろとダーレスがジョン=ラムジー=キャンベルに助言し、彼はそれ以来ラムジー=キャンベルと名乗るようになったという逸話がある。
 ジョン=W=キャンベルは1971年7月11日に世を去った。同じ年の7月4日にはダーレスが亡くなっており、二人の命日は1週間しか離れていない。ダーレスとキャンベルを追悼するロバート=ブロックの文章がIS というファンジンの第4号に掲載されており、そこでブロックは次のように述べている。

君たちの多くにとって、僕が語ってきたことは非常に古い話でしょう。その多くは、君たちが物心つく前に起きたこと、それどころか生まれる前のことです。今では新世代の編集者が、新世代のアンソロジストがいます。新型の作家がおり、新種の作品があります。僕は思うのですが、今日のSFやファンタジーの性質上、ジョン=キャンベルのような人物はもう世に現れないでしょう。オーガスト=ダーレスのような人物は二度と見ることができないでしょう。
(中略)
ワンマンショーの時代は過ぎ去りました。自らの思念を具現化し、ただ独りの力で新しい動きを創り出してしまえる人間の時代は終わったのだと思います。商業的な制約があまりにも多くなりすぎた。今となってはアーカムハウスのような出版社は誰にも作れないでしょう。大手SF誌の編集長となって完全に牛耳ることのできる人間もいないでしょう。物事の様相を一変させてしまった市場と流通のせいです。
(中略)
でもキャンベルとダーレスが忘れ去られることはないでしょう。SFの地位を引き上げてくれたことでキャンベルに感謝しない作家などいません。あれほどまでに大勢の仲間に栄光をもたらしてくれたことで、ダーレスに恩義を覚えない作家などいません。

 というわけで、ブロックによると1971年は巨人の時代が終わった年なのだった。英雄たちが去っていき、怪奇や幻想ですら市場に支配される時代になった――クトゥルー界の総帥にして己の兄貴分だった男がいなくなり、ブロックも寂しげに見える。

クトゥルフ神話への招待 ~遊星からの物体X (扶桑社ミステリー)

クトゥルフ神話への招待 ~遊星からの物体X (扶桑社ミステリー)