新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ライバーが語るダーレス

 Is というファンジンの第4号(1971年10月号)を買った。この号はダーレスの追悼特集号で、レイ=ブラッドベリやロバート=ブロックなど豪華な顔ぶれが名前を連ねている。先日の記事で紹介したコリン=ウィルソンのエッセイ(参照)も、このファンジンが初出だ。どの記事も胸を打つのだが、フリッツ=ライバーによるものがとりわけ興味深い。
 ダーレスとライバーが知り合ったのは1936年、ラヴクラフトを介してのことだった。ダーレスと対面することになった経緯は失念したが、場所は確かシカゴで、おそらくブロックが引き合わせてくれたのだろうとライバーは回想している。彼がダーレスを偲んで書いた文章をいくらか引用してみよう。

活気に満ちた男だった。ダーレスの自負心の強さは不遜の一歩手前だと当時は思ったものだが、彼の優しさと友情はその印象を打ち消して余りあった。

 ライバーはダーレスをローマ皇帝になぞらえているが、彼の名前がオーガストであることに引っかけた駄洒落か。

1947年、私はダーレスに大きな恩を負うことになった。彼が私の初の単行本Night's Black Agents を出版してくれたのだ。そこには、10年前にHPLが回覧してくれた作品のひとつである「魔道士の仕掛け」も収録されていた。

 歴史的瞬間だ。同じ頃にライバーは「怪奇小説コペルニクス」も発表している。これはクトゥルー神話の二元論的解釈に異議を唱えた先駆的な文章だが、初出はアーカムハウスから刊行されたSomething About Cats and Other Pieces だった。すなわちダーレスは二元論を唱える一方で、それに対する批判も世に出していたということになる。「怪奇小説コペルニクス」はライバーの慧眼を示すものだが、同時にダーレスの器の大きさを物語るものでもあると故・那智史郎氏は『新編 真ク・リトル・リトル神話大系』の解説で指摘している。堂々と己の信念を述べたライバーと、それを正面から受け止めたダーレスをともに讃えるべきだろう。

ダーレスの作品ではWalden WestPlace of Hawks がもっとも好きだ。

 Walden West はダーレスの最高傑作と目される作品だが、ライバーも読んでいたというのは初耳だった。ダーレスの堂々たる信念と揺るぎなき闘志、あの強烈な個性が必要だったのだとライバーはいう。何のために?

これほどの事績を成し遂げるために、なかんずくラヴクラフトという星を今日のような天の高みまで昇らせるために。

 これは泣ける。編集者・出版者としてのダーレスに対する最高の賛辞といってよいだろう。
 ダーレスと二人で星空を眺めながらウィスコンシンの丘を散策し、一緒に中華料理を食べたことをライバーは振り返る。そしてソークシティに空港を誘致する運動への協力を求められたダーレスが「それはお断りしよう。やってくる飛行機を撃墜するための高射砲を調達したいなら寄附してやってもいいがね」と言い放ったという逸話を紹介し、次の一言で締めくくっている。

何という男であったか!

 ライバーをして驚嘆せしめた巨人ダーレス。反発した時期もあったと赤裸々に語っているのがスパイスとなり、ダーレスの巨大さを却って引き立たせている。読めてよかったと心底から思える文章だ。