新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

我らの望む苦痛

 C.J.ヘンダースンの"The Pain We Desire"もアントン=ザルナックを主役とする短編だ。この作品では、ザルナック博士はニューヨークからサンフランシスコに引っ越している。それまでザルナックの住所はニューヨークだったりサンフランシスコだったり設定が曖昧だったので、整合性を持たせるための措置だろう。ザルナックは転居が気に入らないようで、まだニューヨーク名物のベーグルを食べていなかったなどと不平を言っている。何十年もニューヨークで暮らしていたのにベーグルを食べたことがない人は博士くらいですと突っこみを入れるシン。
 中国人の夫婦がザルナックのもとを訪れる。夫妻は林と名乗り、息子のことで悩んでいると訴えた。黄王会という結社に加わった息子は性格が豹変してしまった、どうか元の息子に戻してほしいというのだ。黄王会に興味をひかれたザルナックは依頼を引き受けることにし、知り合いのラングドン=フォス刑事を自宅に招いて食事を振る舞った。ラングドンは舌鼓をうちながら黄王会の話をする。
 ラングドンによると、いかなる組織も黄王会を避けるそうだ。黄王会と敵対したものは姿を消し、次に現れたときは自分たちも黄王会の一員になっているのだった。絶えず入会者がいるにもかかわらず、組織の規模が一向に大きくならないのが黄王会の不思議なところだとラングドンは語る。構成員の入れ替わりがよほど激しいに違いない。そして黄王会が崇拝しているのは、ハスターという名の神だった。
 ザルナックは独りで黄王会の本部に乗りこむ。見張りの若者が彼を見咎めるが、ザルナックはハスターの使徒のふりをして内部に入りこんだ。なお旧約聖書の「アモス書」に見える星神キウンの名をザルナックはハスターの化身として挙げているが、この設定はリチャード=L=ティアニーからの借用であるように思われる(参照)。
 いつまでも芝居が通用するはずもなく、ザルナックは黄王会の信者に取り囲まれてしまった。そして黄衣の王が登場する。人間どもが宇宙に進出するのはけしからんから、ロケットを片端から破壊することにしたのだと語る黄衣の王。彼はその場に信者を4人だけ残してザルナックを攻撃させ、他のものはすべてバイアクヘーに乗って飛び立った。残った4人の中には林夫妻の息子もいる。ザルナックは旧神の印を使って彼らを気絶させた。
 ザルナックは石笛を吹いてバイアクヘーを招喚し、その背に乗って黄王会の後を追う。ハスターの化身に立ち向かうのにバイアクヘーを使うとは正気の沙汰でないが、この時点でザルナックは真相を見抜いていたのだろう。宇宙空間に出ると、黄王会の信者たちは手脚を細長く伸ばして互いにつなぎ合わせ、巨大な網を作っているところだった。その網でロケットを捕えようというのだ。ザルナックは黄衣の王にいった。
「おまえはハスターの化身ではあるまい」
「よく見破ったな」
 実はナイアーラトテップが黄衣の王に化けていたのだった。そこに本物のハスターが降臨した。ここぞとばかりに「こやつが御身の御名を騙り、不埒なことをしておりますぞ!」とチクるザルナック。途端に宇宙は炸裂し、暗転した。
 ハスターがナイアーラトテップにどんなお仕置きをしたのかは定かでないが、いつの間にかザルナックはニューヨークに戻り、友人のソーナー警部と一緒にベーグルを食べていた。ハスターの力により、歴史も修正された模様である。ソビエト連邦が世界初の有人宇宙船の打ち上げに成功したと新聞は報じていた。そして、なぜかザルナックはバイアクヘーの鳴声を恋しく思うのだった。
 ハスターがナイアーラトテップよりも上位にいることが明確になっている珍しい作品。ヘンダースンの作品中におけるザルナック博士はいわばタイタス=クロウの先輩格である。もちろん実際には逆で、ヘンダースンがブライアン=ラムレイから影響を受けているわけだ。