新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ラヴクラフトの演奏した楽器

 ラヴクラフトがダーレスに宛てて書いた1930年12月13日付の手紙から。

11歳の時、私はブラックストーン軍楽隊の団員でした(この楽団の団員はみんな「ゾボ」の名手でした――ゾボというのは一端に薄膜を張った管楽器で、ハミングを陽気な金管風の音に変換してくれるのです!)

 T.S.エリオットの「荒地」を茶化した「荒紙」という詩でもラヴクラフトはゾボとブラックストーン軍楽隊に言及しているが、一体ゾボとは何ぞや。ラヴクラフトの説明を読んでもピンと来ないが、ゾボについて調べた人がいる。
H. P. Lovecraft And His Legacy: Zobo
H. P. Lovecraft And His Legacy: Return of ... the Zobo.
 要するに、カズーの親戚みたいなものらしい。初めゾボを吹いていたラヴクラフトだが、リズム感がすぐれていたので太鼓の担当に昇格した。ラヴクラフト自身が回想するところによると、彼はゾボを口にくわえて吹き鳴らしながら太鼓をせっせと叩いたそうだ。
 ちなみにラヴクラフトは少年時代にバイオリンを習ったこともあるが、こちらはうまく行かなかった。ちょっと長くなるが、ラインハート=クライナーに宛てて書いた1916年11月16日付の手紙に詳しい経緯が書いてあるので引用しておこう。

私は律動的な傾向から旋律を愛するようになり、因習や行儀作法を無視して延々と口笛を吹いたりハミングしたりしていました。私は拍子も旋律も正確で、己の未熟な試みにおいてセミプロ級の精確さと華麗さを示したので、バイオリンを習いたいという懇願を7歳の時に聞き届けてもらいました。そして、子供たちにバイオリンを教えていた当市一番の先生から指導を受けることになりました──ウィルヘルム=ナウク夫人という人です。2年間にわたって私は長足の進歩を遂げたのでナウク夫人は感激し、あなたはプロの音楽家になるべきだと宣言したほどでした──しかし、この間ずっと練習は長く退屈で、常に過敏な私の神経系に大層こたえるものでした。私の「キャリア」は1899年まで続き、その頂点となったリサイタルで相当な数の聴衆を前にした私はモーツァルトの独奏曲を弾きました。その後すぐに私の野心と嗜好は(使い古された直喩を用いるならば)等しくカードの家のように潰え去ってしまいました。私はクラシック音楽が嫌でたまらなくなりました。なぜならクラシック音楽が私にとって意味するものは、ひどい骨折りをどっさりしなければならないということだったからです。もしかすると、私はバイオリンに嫌悪の念を催していたのかもしれません! 私の気質を知っていた主治医は、音楽の稽古をただちに中止するべきだと忠告し、その忠告は速やかに受け入れられました。これは記録に残るもっとも典型的な挫折のひとつではないでしょうか? 美術において、私には才能が欠けていました。しかし音楽において欠けていたのは意欲と能力です……。3年か4年前、私はほったらかしのバイオリンを手に取り、新しい弦を買ってから調律しました。片田舎の楽師程度の演奏しかできなくても、弾けば楽しめると思ったのです。私は弓を弦にあてがって引きましたが、御覧あれ! 私はすっかり弾き方を忘れてしまい、たったひとつの小節さえ思い出せませんでした! それまで私がバイオリンに触れたことなど一度もないかのようでした!

 つまるところ自分は音楽に向いておらず、本質的には「視覚型人間」なのでしょう――とラヴクラフトはダーレスに語っている。