新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

深淵の獣

 ロバート=E=ハワードの"The Beast from the Abyss"というエッセイがウィキソースで無償公開されている。猫について書かれたもので、ラヴクラフトの「犬と猫」と一緒に読むと、彼らの見方の違いがよくわかって興味深い。
The Beast from the Abyss - Wikisource, the free online library
 身の回りにいた猫たちをハワードは観察し、その行動や性質について書き綴っている。ハワードの住んでいたテキサスでは猫も荒々しい日々を送り、しばしば暴力的な最期を迎えていたようだ。いくらか抜粋してみよう。

猫は犬よりも劣っていますが、それでも犬より人間に似ています。なぜなら猫は虚栄心が強いのに卑屈であり、貪欲なくせに気むずかしく、怠惰・好色・自己中心的だからです。自己中心的であることは、まさしく猫の主要な特徴です。その自己愛において猫は厚かましく、遠慮がなく、恥を知りません。

 猫は自己中心的だと書いているが、実は遠回しに人間の利己心を指摘している。

溺れかけている子猫をどぶのなかから救い出し、柔らかなクッションを寝床として、さらに好きなだけクリームを与えてやったとします。そいつの無益で自己中心的な一生の間ずっと保護し、甘やかしてごらんなさい。見返りに何がもらえるでしょうか? 目上のものが寵愛を賜るときの流儀で毛皮を触らせてくれるでしょう。ゴロゴロ鳴いてくれるでしょう。そこで感謝の証はおしまいです。お宅が火事になり、ならず者が侵入してきて奥様に暴行し、テオバルドおじさまの頭を殴りつけて、隠してある財産の在処を白状させようと親指を縛り上げたとします。平凡な犬であろうと、テオバルドおじさまを守って命がけで戦うことでしょう。でも、ふとっちょの甘やかされた猫は無関心で眺めているだけでしょう。

 文中で「テオバルドおじさま」と呼ばれているのはラヴクラフトのこと。このエッセイは本来ラヴクラフト個人に向けたものとして書かれた。

個人的には、猫はやはり野良猫に限ります。純血種の猫をはじめて見たとき、ひどくむかついたことを覚えています――鬱陶しい灰色の毛玉が間抜け面をさらしていました。一頭の犬が激しく吠えながら庭を駆けてきました。甘やかされた貴族野郎は黙って目玉をきょろきょろさせ、よたよたとポーチを横切って郵便受けによじ登ろうとしました。野良猫なら灰色の稲妻のように柱を駆け上がり、有利な地点で向き直って敵の頭上に悪罵を浴びせたことでしょう。この能なしの純血種は無様にも柱から転げ落ち、犬の前で仰向けにひっくり返りました。あまりのことに、これは猫ではないのだろうと犬は判断したらしく、どこかに行ってしまいました。愚かであるがゆえに勝つというのは、その時に始まったことではありません。

 実例を挙げ、純血種の猫を盛大に罵倒している。血筋だけでは評価に値しないというわけだが、これまた猫に当てつけて人間の話をしているように見える。

一匹の黒い子猫は回復したのですが、あまりにも痩せ細り弱っていたので、立ち上がることはできませんでした。僕の従兄弟がウサギを仕留めて捌き、その猫に生肉を振る舞ってやりました。立つことはできなくても、そいつは温かな肉にかぶりつき、健康な猫もはち切れそうになるほど平らげました。それから横になって笑ったのです。まるで人間のような笑顔でした。そして眠りに落ちて息を引き取りました。大勢の動物が死ぬのを見てきたのは悲しいことですが、あれほど安らかで満足した最期は見たことがありません。従兄弟と僕は、疫病で死んだ兄弟姉妹の傍らにそいつを葬り、弔銃を撃ってやりました。願わくは、僕自身の死もあの猫のように安らかでありますように!

 伝染病が流行して大勢の猫が亡くなったときの思い出話。いうまでもないことだが、ハワード自身は自殺している。

今うちに何匹の猫がいるのかは定かでありません。一匹の猫も飼っているとは立証できませんが、飼料小屋の中や勝手口の脇に住み着いている猫が何匹かいます。僕のやった餌を食べてくれますし、僕に向かってゴロゴロ鳴くこともありますから、所有権を主張する人が他にいない限り、僕が飼主だといってしまってもよいのでしょう。

 何だかんだいって、ハワードも決して猫のことが嫌いではないらしい。

一言でいってしまえば、猫というのは恐るべき潜在力のある生き物、原初の自己愛の結晶、深淵の暗黒と汚れの具現化なのです。猫は緑の眼と鋼鉄の筋肉を持ち、毛皮に包まれた闇の塊です。その生まれ出た奈落は光明を知らず、同情・夢・希望・美を知りません。ただ餓えと、餓えを満たすことを知るばかりです。しかし猫は始まりの時から人類と共にありました。最後の人間が死に絶えるとき、その断末魔を猫が見守っていることでしょう。

「緑の眼と鋼鉄の筋肉を持ち、毛皮に包まれた闇の塊」という言葉が格好良すぎる。ハワード自身も認めているように、論旨がぼやけている感は否めないが、大変おもしろい読み物だ。猫を「文明」の象徴と捉えていたラヴクラフトに対し、ハワードは猫を「野蛮」の象徴と見なしているように思われる。
 このエッセイをハワードは1933年11月の中旬にラヴクラフトへ送り、ラヴクラフトは返礼として「犬と猫」を送った。「犬と猫」を読んだハワードは「ラヴクラフトさんが本当に擁護したがっているのは猫そのものではなく、猫を愛する人間の美意識ですね」と感想を述べている。