新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

もっと早く死ねばよかったのに

 S.T.ヨシは世界一のラヴクラフト研究家として有名だが、自分の好き嫌いをはっきりさせることでも知られている。1993年にマサチューセッツ州ダンヴァースで開催されたコンベンション*1における彼の発言をドノヴァン=ルークスが録音しておいたのだが、その一部を抜粋してみよう。

 ラヴクラフトの哲学は「ラヴクラフト神話」ではありません。ラヴクラフトの哲学はラヴクラフトの哲学です。つまり「神話」は哲学ではなく、哲学は「神話」ではないということです。
(中略)
 僕はダーレスやラムレイやロバート=E=ハワードには興味がないし、クラーク=アシュトン=スミスやC=ホール=トンプソンやヘンリー=ハッセにも大して興味は湧きません。そういう低能な三文文士は何の功績も残していないし、今後も決して偉業を成し遂げたりはしないでしょう。いなくてもいい連中ですね。
(中略)
 ブライアン=ラムレイが1000歳まで生きて小説を書き続けても、彼の全作品はホメロスの作品の1行にも及ばないでしょう。ラムレイの作品なんて読むだけ時間の無駄ですよ。あんなものは駄作で、屑で、ゴミです。文学ではありません。注目する価値のないものですね。
(中略)
 コリン=ウィルソンは「神話」を使って非常に興味深いことをしてくれました。彼はラヴクラフトの思想や概念や構想を使って自分自身の未来像や哲学を作り上げたんです。だからコリン=ウィルソンはラヴクラフトの足跡を辿った数少ない一人であり、自分自身の哲学を現実に披露できるだけの「頭脳」を持ち合わせた人間です。
(中略)
 ラヴクラフトが表現しようとしていたのは自分の世界観です。「インスマスを覆う影」は深きものどもの話ではありません。それは上辺だけのことです。あなたが誰であるのか、誰が人間であり誰が人間でないのかを闡明しようとした作品、それが「インスマスを覆う影」です。
(中略)
 友達が神話作品を書いてくれると嬉しいとラヴクラフトは確かに述べています。でも彼が腹の中でどう考えていたかなんて誰にわかりますか? 僕にはわかりませんね。むしろ彼はうんざりしていたんじゃないかという気がするんですが、それは僕の印象に過ぎません──僕の見方が偏っているということかもしれません。みんなが「クトゥルー神話」小説を書くのを止めることは彼にはできなかった。彼は独裁者ではありませんでしたからね。ラヴクラフトはロバート=E=ハワードの頭に拳銃を突きつけて「こんなことはしなさんな』」といったりはしなかったわけです。

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 ここでロバート=プライスが「ハワードは自分の頭を自分で撃ちましたしね」と合いの手を入れて聴衆は爆笑。笑う理由がわからないのだが、アメリカンジョークという奴だろうか。ヨシはさらに言葉を続ける。

 ハワードがもうちょっと早く自殺してくれていたらよかったのにと僕は思うんですよ。そうすれば、どうなっていたでしょうね?

 これを読んだとき、ヨシは少々やばい人なのではないかと思ったものだ。それから20年近い歳月が経ち、彼もちょっとは丸くなっただろうと思っていたのだが、2008年に出版されたThe Rise and Fall of the Cthulhu Mythos を読んでみたところ、あまり変わっていなかった。

The Rise and Fall of the Cthulhu Mythos

The Rise and Fall of the Cthulhu Mythos