新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

シャハラザルの剣

 昨日の記事で紹介した"The Treasures of Tartary"には続編がある。"Swords of Shahrazar"といって、初出はトップノッチ=マガジンの1934年10月号だ。"The Treasures of Tartary"が掲載されたのはスリリング=アドベンチャーズの1935年1月号なので、続編のほうが先に発表されてしまったことになる。
 なぜかウィキソースでは"Swords of Shahrazar"の初出を1976年とし、2071年まで著作権で保護されているという理由で公開していないが、その辺の理由はよくわからない。プロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアでは普通に読める。
gutenberg.net.au
 シャイバル=ハーンは死に、シャハラザルの都はオーカン=バハドゥルのものになった。我らが主人公カービー=オドンネルは賓客としてシャハラザルに滞在している。前作でオーカン=バハドゥルを助けたため手厚く待遇されているが、ホラズムの財宝を棄ててしまったことがばれたら首が飛ぶだろう。そんなわけで、オドンネルは安閑としない日々を送っていた。
 刺客がオドンネルを襲った。彼は返り討ちにしたが、その刺客は名前をバベルといって、スレイマン=パシャの下僕だった。スレイマン=パシャというのは、前作でシャイバル=ハーンとインド征服計画を練っていた人物だ。シャイバル=ハーンの次はオーカン=バハドゥルに取り入り、相変わらずシャハラザルに居座っていた。スレイマン=パシャの背後で糸を引いているのはロシア帝国、もしかすると彼自身もロシア人なのかもしれない。
 オドンネルの部屋の前で死体が見つかれば騒ぎになるだろう。悶着は起こさないに限る。オドンネルはバベルの巨体を担ぎ、宝物殿へ運んでいった。死体を始末するのに宝物殿の仕掛けを利用しようというのだ。オドンネルは死体の宝物殿の床に横たえ、槓杆を引いた。床が割れ、死体は地底の川へと落ちていく。
 人の気配を察知したオドンネルが振り向くと、そこに立っていたのはスレイマン=パシャだった。もっとも危険な人物に秘密を知られてしまったのだ。拳銃を突きつけられ、さすがのオドンネルも動くことができない。
「貴重な従僕を失う羽目になったが、おかげで謎が解けた」とスレイマンはいった。「どうして貴様が財宝を棄てたのか、わけがわからんな。そこまでシャイバル=ハーンに忠義立てしたかったか」
 シャイバル=ハーンに義理があったわけではなく、財宝が群雄の手に渡ってはアジアの平和が危ないと思ったからなのだが、オドンネルは黙っていた。オーカン=バハドゥルには黙っておいてやるから自分に協力しろとスレイマンはオドンネルを脅迫する。
「貴様にやらせる仕事がある」とスレイマンはいった。「英国の情報部員が丘陵地帯で死んだ。そいつの持っていた機密文書を手に入れろ」
 スレイマンはオドンネルを連れ、オーカン=バハドゥルに会いに行った。オーカン=バハドゥルは文書を回収するために50人の兵士を差し向けることにし、スレイマンの勧めでオドンネルを隊長に任命する。オーカン=バハドゥルの居室を出たオドンネルにスレイマンは耳打ちした。
「いいか、文書はオーカンではなく私によこすのだぞ」
「オーカンは立腹するに決まっている」とオドンネルは言い返した。
「ホラズムの財宝がどうなったかを知ったときの怒りに比べれば些細なものだろう」
 逆らうわけにはいかない。オドンネルは兵士たちを率いて出発した。オーカン=バハドゥルは部下に対して気前がいいので、兵士の馬も銃も非常に上等なものだ。物々しい出で立ちではあるが、丘陵地帯を治めるアフメド=シャーはオーカン=バハドゥルと友好関係にあるため、それほど困難な任務ではないはずだった。
 アフメド=シャーの領地に入ったオドンネルと部下たちは戦闘に遭遇した。100人ほどの集団が塔を包囲し、立てこもっている連中と銃撃戦を繰り広げている。塔に立てこもっているのがアフメド=シャーの側だろうと判断したオドンネルは彼らに加勢することにし、塔を包囲している奴らを背後から急襲するよう兵士たちに命令した。
 敵は倍の数だったが、オドンネルの巧みな指揮によって虚を突かれ、敗走する。援軍が現れたのを見て、男たちが塔から出てきた。その先頭に立っていた大男にオドンネルは挨拶し、訊ねる。
「あなたがアフメド=シャーか?」
「アフメド=シャーなら4日前にくたばったよ」ハイエナのような声で大男は笑った。「俺はアフザル=ハーンだ。殺し屋と呼ぶやつもいるがな」
 アフザル=ハーンはアフメド=シャーを殺して彼の領地を奪ったのだが、わずかな供を引き連れて見回りをしている最中、アフメド=シャーの配下の逆襲に遭った。そうとは知らないオドンネルは彼に加勢してしまったのだ。
ウルドゥー語は読めるか?」急にアフザル=ハーンは訊ねた。
「読めるぞ」とオドンネルは答える。
「アフメド=シャーのやつが文書を持っていた。ウルドゥー語だと思うんだがな」
 死んだ英国人が持っていた文書はアフメド=シャーの手に渡り、それをアフザル=ハーンが横取りしていた。捜し物の在処がわかって一歩前進といったところだが、アフザル=ハーンは道義をわきまえない非情な男だ。オドンネルが助けてやったことなど歯牙にもかけないどころか、いつ寝首を掻こうとしてもおかしくない。
 夜になり、アフザル=ハーンの勧める場所でオドンネルと兵士たちは露営することになった。数百ヤード離れたところに厩舎があり、そこで馬が飼葉をもらっている。すでにアフザル=ハーンの手下が集まってきており、攻撃されたらひとたまりもないだろう。兵士たちも不安げな様子だった。
(しかし敵意があるなら、もっと早く襲うこともできたはずだ。そうしなかったのはなぜだ?)
 夜が更けていく中、オドンネルはアフザル=ハーンの意図を量りかねていた。この場面の描写はまことに緊迫した雰囲気で、八方塞がりに陥った主人公の心情が伝わってくる。派手さはないものの、作家としてのハワードの力量を示すくだりといえるだろう。その時、近寄ってくる人影を見てオドンネルは銃を突きつけた。
「ちょっと待った! 俺だよ」それはオドンネルの朋友ヤル=ムハンマドだった。「あんたに知らせたいことがあってな、こうして忍びこんできたんだ。アフザル=ハーンはあんたたちを皆殺しにする気だぞ」
「いったい何が理由なんだ? なぜ、いままでは手出しをしなかった?」
「名馬が50頭いて、ライフル銃が50丁あれば立派な理由になるさ! ここじゃあ火縄銃のために親兄弟を殺すのですら当たり前なんだぜ」とヤル=ムハンマドは説明する。「手出しを控えたのも、馬が厩舎に入るまで待ってただけだ。せっかくの名馬が巻き添えで死んだらもったいないからな」
「それで、おまえさんに何か策はあるのかい?」とオドンネルは訊ねた。
「策だって? 俺に策なんかあるわけないだろ! 俺は、知恵のあるやつについていくだけだよ」
 知恵のあるやつというのはオドンネルのことらしい。朋友に危機を知らせるため死地に飛びこむヤル=ムハンマドの男気はあっぱれの一語に尽きるが、オドンネルは切り抜ける手立てを今から考えなければならない。人数には圧倒的な差があるので、夜が明ける前に機先を制して攻撃する以外に活路はなかった。
 堡塁の内側で露営しているアフザル=ハーンの手下にオドンネルたちは奇襲をかけた。不意打ちされて算を乱した敵は敗走し、塔の中にいたアフザル=ハーンも異変に気づいて脱出しようとする。オドンネルは追いすがったが、アフザル=ハーンは彼を撃ち、逃げてしまった。オドンネルが殺されたと思ってヤル=ムハンマドは泣き叫んだが、彼は無事だった。銃弾はベルトのバックルに当たっただけだったのだ。オドンネルは機密文書を求めて塔の中を捜し回ったが、見つからなかった。
「文書ならアフザル=ハーンが肌身離さず持っていたよ」とヤル=ムハンマドが教えてくれた。「あいつには読めないんだけど、値打ちものだと思っているみたいだね」
 オドンネルたちは堡塁の占拠に成功した。戻ってきた敵が堡塁を取り囲んだが、状況は少なくとも絶望的ではなくなっている。ぶんどった食糧がたっぷりあるし、きれいな水が出る井戸も確保した。敵に比べれば弾薬も豊富だし、堡塁の中に立てこもっていれば戦える。だが、出発したとき50人いた部下は41人に減ってしまっていた。
 戦闘が始まった。敵は数にものをいわせて押し切ろうとするが、オドンネルに率いられた兵士たちは勇敢に戦って突破を許さない。厩舎の中にいる馬を奪おうと近づくやつもいるが、たちまち格好の的になって撃ち殺されるばかりだ。その時、アフザル=ハーンが大声で呼ばわった。
「おおい、撃つのを止めろ! 話がある!」
「出てこい!」とオドンネルは叫び返した。
 アフザル=ハーンが姿を見せた。武器は持たず、たった一人で堡塁のほうへ歩いてくる。オドンネルなら、いきなり撃ってくるような真似はしないと信用しているのだ。悪党ではあるが、さすがに肝の太さはたいしたものだった。
「おまえらに勝ち目はないぞ。だが、このまま争いを続ければ、こちらも犠牲が増える」とアフザル=ハーンはいった。「そこで取引をしようというのだ。銃を置いて立ち去れ。そうすれば見逃してやる」
「アフザル=ハーンが約束を守るようなら、インダス川が逆流するわい」とオドンネルは一蹴した。「俺たちに勝ち目がないだと? 本当になかったら貴様は取引を持ちかけたりせず、さっさと皆殺しにするだろうよ!」
「生皮を剥いでやるぞ!」アフザル=ハーンは吠えた。「息の根を止めるまで包囲を続けてやるからな!」
「こっちが出て行けないにしても、そっちも入ってこられないだろう。俺たちにかかずらっている間に、アフメド=シャーの残党に背後を突かれるかもしれないしな」とオドンネルは言い返す。「お互い手詰まりというわけだ。どうだ、一騎打ちで決めないか? こっちが勝てば、俺たちは邪魔されずに立ち去っていい。そっちが勝てば、俺の部下たちは貴様の好きなようにしていいぞ」
 アフザル=ハーンは同意し、彼らは決闘することになった。アフザル=ハーンは猛り狂って刀を振り回すが、オドンネルはかわしながら巧みに間合いを詰め、長刀と短刀の二刀流でアフザル=ハーンを討ち取る。アフザル=ハーンの手下どもは仁義もどこへやら、一斉に襲いかかってきた。ヤル=ムハンマドは獅子奮迅の戦いぶりでオドンネルを庇い、攻めあぐねた敵は退却する。
 アフザル=ハーンの亡骸から回収した機密文書をオドンネルは読んだ。それはウルドゥー語ではなくロシア語で書いてあり、スレイマン=パシャと名乗る男の陰謀について報告するものだった。彼は単なる間諜ではなく、己の野望のためにアジア各地で争乱を起こそうとしていたのだ。
「やつら仲間割れを始めたぞ」とヤル=ムハンマドがいった。「アフザル=ハーンがいる間だけ、かろうじて団結できてたんだな」
 ヤル=ムハンマドのいうとおりだった。ばらばらになった敵は逃げていく。かくなる上は一刻も早く出発し、機密文書を政府に届けてスレイマンの野望を打ち砕かなければならない。しかし――とオドンネルは思った。俺が兵士たちを見捨てていったら、彼らはシャハラザルに帰る途中で野垂れ死にしてしまうだろう。彼らをそんな目に遭わせるわけにはいかない、俺は隊長なのだ!
 この場面は圧巻だ。大事の前の小事などというが、オドンネルにはどちらも選べなかった。アジアの平和を守るという大義。自分を信じて戦った兵士たちの面倒を最後まで見なければならないという使命感。オドンネルは板挟みになって苦悩するが、事態は意外な方向から打開された。スレイマン=パシャが現れたのだ。
「さて、文書をこちらへ渡してもらおうか」オドンネルに拳銃を突きつけて、スレイマン=パシャはいった。「私はシャハラザルには戻らず、このまま南方へ行く。そこでする仕事があるのでな。貴様も私についてくるのだ」
「お断りだ、この豚野郎!」怒りのあまり、オドンネルは英語で叫ぶ。
 オドンネルのことをクルド人とばかり思っていたスレイマン=パシャは呆気にとられた。その一瞬の隙にオドンネルの短剣が閃き、スレイマン=パシャはめった刺しにされて斃れる。わざわざ自分で出向くあたり、いかにスレイマン=パシャが他人を信用していなかったかが窺えるが、その猜疑心の強さが命取りになったといえるだろう。
 オドンネルはふらふらと立ち上がった。馬蹄の音とともに兵士たちが近づいてくる。ヤル=ムハンマドの笑い声が聞こえた。オーカン=バハドゥルがオドンネルの秘密を知ることはもう決してなく、シャハラザルに戻っても彼を怖れる必要はない。オドンネルは短剣を鞘に収め、微笑したのだった。
 お宝が目当てでシャハラザルにやってきた主人公が、より巨きなもののために戦うようになるという物語だ。コナン・カル・ブラン・ケインをハワード作品の四大ヒーローというそうだが、人間らしさという点においてカービー=オドンネルは彼らより勝っているかもしれない。