新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

ナイフの国

 ロバート=E=ハワードに"Country of the Knife"という短編がある。これまたエル=ボラクが主役だが、コンプリート=ストーリーズの1936年8月号が初出なので、ハワードの死の直後に発表された作品ということになる。現在は公有に帰しているらしく、原文がウィキソースやプロジェクト=グーテンベルク=オーストラリアで無料公開されている。
en.wikisource.org
gutenberg.net.au
アフガニスタンに行ってエル=ボラクを見つけ、彼に伝えてくれ。黒虎団に新しい首領が誕生したと。やつはアブド=エル=カフィドと名乗っているが、本当の名はウラディーミル=ジャクロビッチだ」
 暗殺者に刺されたストックトンは友人のスチュアート=ブレントにそう言い残して息絶えた。プロの賭博師としてサンフランシスコで優雅な生活を満喫していたブレントだが、ストックトンの無念を晴らすべくカブールに赴く。ストックトンは英国情報部の大物だったらしく、彼から教えてもらった合言葉をブレントが使うと現地の政府関係者が積極的に協力してくれた。
 どこにいるとも知れぬエル=ボラクを探すために出発したブレントだったが、山中で盗賊の集団に襲われてしまう。護衛の兵士は全滅し、捕えられたブレントはルブ=エル=ハラミに連れて行かれることになった。ルブ=エル=ハラミは外部からの略奪で経済が成り立っているという盗賊の都で、その首長こそはアブド=エル=カフィドという変名を使っているジャクロビッチに他ならなかった。
 シールクーフと名乗る男が途中で盗賊どもの仲間に加わった。ブレントがルブ=エル=ハラミで奴隷として競売にかけられると聞いたシールクーフは、俺が買いたいと言い出す。「痩せた奴隷など価値がないからな」といいながら、シールクーフはブレントに食事や外套をくれた。その温情ある姿を見たブレントは思い切って自分の目的を打ち明け、脱走するのをシールクーフが手伝ってくれたら大金をあげると約束する。
 ルブ=エル=ハラミに着いたブレントの前にジャクロビッチが現れ、盗賊の都の首長に身をやつしている理由を教える。毎年「シャイターンの洞窟」に100斤の黄金を捧げるという慣わしがルブ=エル=ハラミにはあった。洞窟の在処は首長と長老たちしか知らないが、大魔王シャイターンに貢物をする慣わしは1000年の長きにわたって続き、いまや莫大な量の黄金がうずたかく積まれているという。その黄金を盗み出して軍資金とし、アジアに覇を唱えるというのがジャクロビッチの野望だった。
「貴様を生かしておいた理由がわかるか?」とジャクロビッチはいった。「ストックトンが貴様に教えた情報部の合言葉を聞き出すためだ。情報部の内側に浸透することができれば、俺の諜報網はますます強大なものになるからな」
「ならば、俺はおまえの素性をばらすぞ! ロシア人だと皆に知られてもいいのか!」
「そんなのは周知のことよ。俺はとうにムスリムに改宗しているからな、痛くも痒くもないわ」
 ムスリムムスリムたらしめるものは出自ではなく信仰であり、それは盗賊の都においても変わらないようだ。貴様を奴隷として買い取ってから合言葉をゆっくり吐かせてやると言い捨てると、ジャクロビッチは立ち去った。
 一方、シールクーフは都の実力者アラフダル=ハーンに会っていた。アラフダル=ハーンは気っぷの良さで住民に慕われており、その人気はジャクロビッチをもしのぐほどだ。ジャクロビッチを放逐し、あなたが主張になるべきだとシールクーフはアラフダル=ハーンに勧めた。
 翌日、競売が行われることになった。ブレントはジャクロビッチが捨て値で買い取るはずだったが、アラフダル=ハーンから資金の援助を受けたシールクーフが競りに参加したため、値段がうなぎ登りにつり上がっていく。頭に来たジャクロビッチは競売を一方的に中止させ、ブレントを自分の館に連れて帰ろうとした。
「それは掟に反するぞ!」ここぞとばかりにシールクーフは告発する。「首長といえども、掟は守るべきだ! こんな輩よりも、アラフダル=ハーンこそが首長にふさわしい!」
 煽動された住民たちも声を合わせ、とうとうジャクロビッチとアラフダル=ハーンは首長の座を賭けて一騎打ちを行うことになった。決闘に勝ったのはアラフダル=ハーンだったが、ジャクロビッチの片腕であるアリ=シャーの手下の一人がシールクーフの正体を暴く。彼こそはエル=ボラクことフランシス=ゼイヴィア=ゴードンに他ならなかった。
 アラフダル=ハーンとブレントは捕えられ、牢に入れられてしまう。ジャクロビッチの死亡とアラフダル=ハーンの失脚を受けてアリ=シャーは自ら首長を称し、長老たちも追認した。ゴードンは一人だけ逃げ延び、アラフダル=ハーンと3人の家来そしてブレントを救出する。かくして過酷な逃避行が始まった。
「アラフダル=ハーンを首長にしようとしたのは本気だった」とゴードンはブレントに説明した。「ジャクロビッチさえいなくなってしまえば、ルブ=エル=ハラミは危険な存在ではなくなる。真っ当なムスリムはシャイターンの黄金になど触れようとはしないからな」
「少なくともジャクロビッチは死んだな」と指摘するブレント。
「そういう意味では目的を達成できたことになる。アリ=シャーは世界にとって脅威ではない。いまとなっては、危険にさらされているのは俺たちの命だけだ。まあ簡単に死んでやる気はないがね」
 ゴードンは一縷の望みを託して狼煙を上げたが、彼の朋友たちはやってこなかった。首長直属のエリート部隊である黒虎団がゴードンたちに追いつく。多勢に無勢、しかも疲労困憊している彼らは死を覚悟した。
「アラフダル、済まない」とゴードンは己の非力を詫びた。「済まない、みんな」
「それは違うぞ、エル=ボラク!」獅子がたてがみを振るうかの如く、アラフダル=ハーンは昂然と頭をもたげた。「俺は夢見るばかりで挑戦することのできぬ惰弱な臆病者だった。だが、おまえのおかげで栄光の一瞬を手にできた。それだけで一生分の値打ちがあるのだ」
 この場面はかなり泣かせる。戦闘が始まり、アラフダル=ハーンはアリ=シャーと相打ちになって斃れた。アラフダル=ハーンの家来たちもことごとく命を落とし、生き残っているのはゴードンとブレントだけだ。その時、蹄の音が聞こえてきた。ヤル=アリ=ハーンに率いられた部隊が駆けつけてきたのだ。
「おお、俺の狼煙を見てくれたか! 一斉射撃だ!」
 銃弾の雨を浴びて黒虎団は退却する。アフリディ族の戦士たちがブレントを馬に乗せてくれた。駆けていく馬の背で風を感じ、ゴードンの笑う声を聞きながら、ブレントは眠りに落ちたのだった。