新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

エーリヒ=ツァンの遺産

 ブライアン=ステイブルフォードのThe Cthulhu Encryptionを8年前に紹介した*1が、同じくオーギュスト=デュパンを主役とするシリーズで"The Legacy of Erich Zann"という中編がある。題名からわかるようにエーリヒ=ツァンの音楽がモチーフになっており、「盗まれた手紙」や「モルグ街の殺人」と同様にデュパンの無名の友人が語り手を務めている。
 語り手はデュパンを自宅に呼んで一緒にくつろぎ、2日前の晩に観たミュージカルの話をしているところだった。「悪魔のカンタータ」という作品で、メフィストフェレスめいた悪魔が舞台上で天使の姿に早変わりする場面がその目玉だった。またヴァイオリンの伴奏にも特殊な調弦が用いられていたが、その手法はスコルダトゥーラというのだとデュパンは語り手に教える。
 デュパンの友人である警視総監が来訪した。エドガー=アラン=ポオの原作ではGという頭文字しか明らかになっていないが、ステイブルフォードは彼をリュシアン=グロワと名づけている。ベルナール=クラマールという高名な公証人が殺害されたと警視総監から知らされたデュパンは驚きを隠そうとしなかった。
 かつて自分はエーリヒ=ツァンという楽師と知り合いだったとデュパンは語る。ツァンが怪死したとき、遺言を執行したのがクラマールだった。ツァンの作った曲はデュパンが相続し、彼のストラディヴァリウス演奏家のポール=パレゾーに譲られたという。語り手が観た「悪魔のカンタータ」のためにヴァイオリンを弾いていたのがパレゾーだった。
 天才音楽家ニコロ=パガニーニがツァンの楽譜を探し回っているという情報が入ってきた。またツァンはジュゼッペ=タルティーニの弟子だったという設定だが、パガニーニもタルティーニも実在の人物。タルティーニの代表作である「悪魔のトリル」は、彼が夢の中で聴いた悪魔の演奏をもとに作られたという伝説のある曲だ。
 パレゾーも殺され、ツァンのヴァイオリンが持ち去られた。ツァンの音楽は這い寄る混沌ナイアーラトテップを招喚できるのだとデュパンは述べる。犯人もそれを目的にツァンの遺産を集めようとしているのだろう。ならば、次に狙われるのはデュパンだ。警視総監は部下を派遣してデュパンの住居を守らせたが、犯人は意外なところに現れた。
 デュパンと別れて帰宅した語り手を、フッド氏という人物が待っていた。「悪魔のカンタータ」で悪魔の役を演じた英国人の俳優だ。フッドが連続殺人事件の犯人であると確信した語り手は仕込み杖の切っ先を彼の喉元に突きつけようとしたが、後ろから陶製の壺で頭を殴りつけられて気を失う。殴ったのは天使のような美少年――「悪魔のカンタータ」に出演していた子役だった。自分はエーリヒ=ツァンの生まれ変わりだと少年はいった。
 少年の姿をしたツァンとフッドに拉致された語り手が連れて行かれたのは、かつてツァンが住んでいたオーゼイユ街のアパートだった。「エーリヒ=ツァンの音楽」ではオーゼイユ街は跡形もなく消え失せたことになっているが、パリの地図にないのは街の名前が変わったからに過ぎないというのがステイブルフォードの解釈だ。
 語り手を人質に取ったツァンはデュパンを呼び寄せる。ナイアーラトテップを招喚することがツァンの目的なのだが、転生した身体ではヴァイオリンが弾けないので、代わりにデュパンに演奏させようというのだ。デュパンは楽譜をとっくに焼き払ってしまったそうだし、もう20年もヴァイオリンを弾いたことがないはずだと語り手はいったが、ツァンは意に介さなかった。
「彼がストラディヴァリウスを弾くのではない。ストラディヴァリウスが彼を弾くのだよ」
 どうやら少年はツァンの記憶を本当に受け継いでいるようだ。なお、自分が禁断の知識を探求するようになったのはフォン=ユンツトの『無名祭祀書』を読んだことがきっかけだとツァンは語っているが、これは計算が合っていないように思われる。『無名祭祀書』は1839年にデュッセルドルフで刊行されたとロバート=E=ハワードの「黒の碑」に書いてあるが、デュパンによるとツァンの横死は七月革命以前の出来事だからだ。
 やってきたデュパンは命じられるがままに演奏を開始するが、彼には奥の手があった。ツァンの魔曲は幻想と恍惚を本質とするが、同時に音楽は論理と計算に従うものでもある。デュパンの理性の力によって魔曲の作用は逆転し、オーゼイユ街のアパートは崩壊しはじめたが、語り手とデュパンは辛くも脱出した。到着した警官隊による捜索の結果、フッドの潰れた亡骸が瓦礫の山の中から見つかったが、少年の姿はどこにもなかった。ナイアーラトテップに喰われてしまったのだろうか……。
 端役ながらパガニーニが登場するなど、非常に伝奇色が豊かな作品だ。エーリヒ=ツァンは旧支配者に魅せられた人物ということになっており、ちょっと珍しい解釈という感じがする。もっともショタ化したツァンはさらに珍しいかもしれない。