新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

フェイグマンのひげ

 ラヴクラフトのためにC.A.スミス宛の手紙を代筆してあげたハリー=ブロブストなる人物に一昨日の記事で言及したが、この人はペンシルベニア=ダッチだった。ダッチといってもオランダ人ではなく、ドイツからペンシルベニアに移住してきた人々の子孫だ。
 リーハイ=バレーのあたりでは未だに魔術が広く信じられており、アレンタウン在住の知人がその件に詳しいとラヴクラフトは1931年12月10日付のダーレス宛書簡で語っているが、この知人というのがブロブストとカール=ストロークだった。ペンシルベニア特有の魔術信仰にまつわる話を彼らならたくさん聞かせてくれるだろうといわれて興味を抱いたダーレスはラヴクラフトから二人の住所を教えてもらっている。ストロークラヴクラフトの交流は1933年の夏を最後に途絶えてしまったが、ブロブストはプロヴィデンスに引っ越して精神病院で働く傍ら勉学に励み、貧乏なラヴクラフトに昼食をおごるなど世話を焼いたという。なかなか手紙の返事を書かないブロブストをラヴクラフトはダーレス宛の書簡で「彼はとても仕事が忙しく、寝食の暇もないほどなのです」と庇ってやっている。
 ブロブストから提供された情報を基にダーレスは"Feigman's Beard"という短編を書き上げてウィアードテイルズの編集部に送ったが、没にされてしまった。「尋常ならざる物語なのですが、ライトにとって独創性はあまり意味がないようです」とダーレスは1933年7月3日付のラヴクラフト宛書簡で報告している。
 後にライト編集長は気が変わって"Feigman's Beard"を受理し、ウィアードテイルズの1934年11月号に掲載した。1948年にアーカムハウスから刊行されたNot Long for This Worldにも収録されており、私もそちらで読んだことがあるので粗筋を紹介させていただきたい。
 マーサ=フェイグマンは半兄弟のエブと二人きりで暮らしている。エブはマーサの豚を勝手に売り払ってしまい、その代金を独り占めしている。マーサが文句を言おうものなら暴力を振るわれる始末だ。
 頭に来たマーサは、魔女だという評判のあるクロップ夫人に相談する。クロップ夫人もエブに自分の土地を盗られたという恨みがあり、マーサに協力してやることにした。エブが寝ている間に彼のあごひげを2本ばかり切り取り、彼が使っている手鏡と一緒に持ってくるようクロップ夫人はマーサに指示した。マーサが言われたとおりにすると、クロップ夫人はひげを鏡に載せて周りを魔法の円で囲み、その円に沿って灰色の粉を撒く。マッチを擦ってエブのひげに火をつけたクロップ夫人は、英語とドイツ語が交ざった呪文を唱えるが、その意味はマーサにはさっぱりわからなかった。緑色の炎が鏡を取り囲み、真紅の煙がいきなり立ち上ったのでマーサは咳き込んだが、クロップ夫人が呪文を唱え終わると火の痕跡はまったく残っていなかった。鏡に悪魔を宿らせる魔法だった。
 マーサは鏡を持ち帰って元の場所にこっそり戻す。朝になり、起き出してきたエブがいつものように鏡を見ながら自慢のあごひげを手入れしようとするが、途端に彼は絶叫して倒れた。マーサが見に行くと、エブは絶命していた。
 マーサは豚の代金を探し、銀貨の詰まった袋を見つけて大喜びする。絶対に鏡を見てはならないとクロップ夫人は警告していたが、好奇心に駆られたマーサは覗きこんでしまった。鏡面は真っ黒で、炎が揺らめいていた。エブの顔が映っているが、彼の顔には眼がなく、腐敗して骨が剥き出しになっていた。そして、もっと怖ろしいものがその背後にいた。
 遺体を発見したのはクロップ夫人だった。検死の結果、エブの死は心臓発作によるものと判明したが、マーサのほうは不可解だった。銀貨の袋の紐が衣類掛けに引っかかり、かつマーサの首に二重に巻きついていたのだ。そして彼女は銀貨の重みで首が絞まって死んだのだが、そんなことがどうして起きたのかはわからなかった。
 人を呪わば穴二つという話なのだが、ダーレスは相変わらず心理描写が巧みだ。特に銀貨の袋を持ったマーサが鏡を覗こうとする場面がうまい。愚かな行為ではあるが、手の中にお金があれば悪魔も怖くないというのはなかなか頷けるのではないか。ただし原話では水を張った鉢を鏡の代わりに使うことになっており、ダーレスの改変は物語の土俗色を薄めてしまっているとブロブストは考えていたようだ。なおダーレス自身も母方がペンシルベニア=ダッチの家系だという。*1
 ブロブストは後にブラウン大学ペンシルベニア大学で学位を取得し、オクラホマ州立大学の教授になった。2010年に100歳で大往生を遂げている。ところで"Feigman's Beard"が収録されたNot Long for This Worldだが、この表題は「命短くて」とでも訳せるだろう。後々まで残るようなものではないとダーレス自身が序文で語っており、つまり作品の寿命が短いという意味なのだ。ダーレスらしい韜晦というべきだが、刊行から70年以上が経った今でも本は私の手許で生きながらえ、ラヴクラフトの友人たちの交流に思いをはせるよすがとなってくれた。