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主にクトゥルー神話のことなど。

ミュルダー異聞

 ゴットフリート=ミュルダーといえばフォン=ユンツトの友人であり、かの悪名高い『無名祭祀書』を出版した人物だ。彼は1858年にメッツェンガーシュタインの精神病院で死去したとされているが、これらはすべてリン=カーターの設定である。元々の設定がどのようなものであったのか、ラヴクラフトがウィリス=コノヴァーに宛てて書いた1937年1月10日付の手紙を見てみよう。

ミュルダー教授がまだ生きているとは知りませんでした――願わくは彼の発見を公表した後も生き続けてほしいものですが、ヨグ=ソトースが執念深い性格であることは有名ですからね。ミュルダー教授の住所を知りたいのですが――もちろんハイデルベルクの旧居ではいけませんよ。いうまでもなく、彼のような学究はナチス政権下では祖国を追われざるをえないからです!

 本来ミュルダーはフォン=ユンツトの友人どころかラヴクラフトの同時代人だった。ダニエル=ハームズが『エンサイクロペディア・クトゥルフ』で指摘しているように、ラヴクラフトとコノヴァーの文通の内容をよく知らなかったカーターが適当に設定をこしらえたのだ。
 ラヴクラフトとコノヴァーの設定によると、ミュルダーはナチスに迫害されて亡命した学者であり、1937年の時点では旧支配者の秘密を世間に発表しようとしている最中だった。これはこれでおもしろそうなのだが、『エンサイクロペディア・クトゥルフ』ではカーターの説を全面的に採用し、それがラヴクラフト・コノヴァー説と異なることは文末の註釈で軽く触れるにとどめている。カーターに対するハームズの敬意が感じられる。
 なおミュルダーのファーストネームがゴットフリートだというのもカーターによる設定であり、ラヴクラフト・コノヴァー説ではヘルマンであるとされている。してみるとミュルダーは二人いたということであり、ヘルマンはゴットフリートの子孫だと考えれば辻褄が合うのではないか。フォン=ユンツトにも子孫がいるくらいだから*1ミュルダーにいてもおかしくないだろう。