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カルドナ写本を探して

 The Search for the Codex Cardona という本が2009年にデューク大学出版会から刊行された。カルドナ写本と呼ばれる謎の書を追ったセミドキュメンタリーだ。
 カルドナ写本というのは、16世紀のメキシコで制作されたとされる書物だ。メキシコを征服したスペインの官僚が現地人に命じて作らせたもので、ページ数は400以上、300点に上る挿絵が収録されている。メシカ族の歴史や伝説、16世紀の地理や事件が克明に記されており、本物であれば価値は約800万ドル、歴史を塗り替えうる本だという。
 著者のアーノルド=J=バウアーはカリフォルニア大学デイヴィス校の名誉教授である。彼が初めてカルドナ写本を見たのは1985年、カリフォルニア大学デイヴィス校のクロッカー核研究所でのことだった。スタンフォード大学がカルドナ写本を買い取るという話が持ち上がっており、本当に16世紀の本なのかクロッカー核研究所で分析することになったのだ。結局、スタンフォードの教授たちは興味を示したものの、あまりにも高価すぎるという理由で取引は成立しなかった。その後1998年に大手競売会社クリスティーズに持ちこまれたのを最後に、カルドナ写本は消息を絶ってしまった。
 カルドナ写本に魅せられたバウアー教授は20年以上にわたって後を追い続ける。見たところ、カルドナ写本はきわめて精妙に造られており、贋作であると疑う余地はなさそうだったが、ひとつ不審な点があった。スペイン人の官僚の命令で制作されたものであるにもかかわらず、欧州から輸入された紙ではなく、メキシコ原産のアマテ紙が使用されていたのである。
 バウアーはメキシコまで足を運び、カルドナ写本の以前の所有者と称する人物に会って話を聞いたりするが、その真贋も現在の在処も結局わからずじまいのままだった。スペインのホテル王がカルドナ写本を買い取ったらしいとバウアーが風の便りに聞くところで本書は幕を閉じている。劇的な結末に至らないあたりがまた現実的だが、私としては非常に楽しめる本だった。
 ところで、この本にはラヴクラフティアンも興味を持つかもしれない。ラヴクラフトの親友にして遺著管理者であったロバート=バーロウの名前が出てくるのだ。もしもカルドナ写本が偽書であるとしたら、その作者は途方もない天才かつ碩学であったに違いないと考えたバウアー教授は友人のデイヴィッド=スウィートに相談する。そんな人物がこの世にいるのだろうかと問われて、スウィート教授は答えた。
「一人いる。ロバート=バーロウだよ」
 バーロウは文化人類学者としてメキシコ国立自治大学とメキシコシティ大学で教鞭を執り、メシカ文化の研究において先駆的な業績を上げている。スペイン語やナワトル語を自在に操るなど語学に堪能で、メキシコの先住民族に対して彼らの母語で教育を行うという国家プロジェクトの責任者に任命されたほどだった。また美術にも造詣が深く、タイロン=パワーが主演した映画『征服への道』の制作に協力したというトリビアが本書で紹介されている。
 それだけの能力があるやつが他にいないという理由で贋作の容疑者にされてしまったバーロウだが、彼を貶めようという意図はバウアーにはない。長年にわたってメキシコ国立人類学歴史研究所の所長を務めたエンリケ=フロレスカーノにバウアーが会って話を聞く場面が本書にはあるが、今日バーロウはメキシコでどのように評価されているのかと訊ねられたフロレスカーノは無言で立ち上がり、バウアーを書斎に案内したそうだ。そこでフロレスカーノがバウアーに見せたものは、新たに刊行されたバーロウの著作集全7巻だった。バーロウは未だに忘れられていないし、すばらしい学者として尊敬され続けているのだった。
「これほどまでに才能の豊かな子は見たことがない」とラヴクラフトはバーロウを評した。バーロウが紛れもなく天才であり、歴史学の分野において彼が残した足跡がきわめて大きなものであったことはバウアー教授の著作も裏づけてくれている。ラヴクラフトはバーロウのことを誇っていいだろう。

The Search for the Codex Cardona: On the Trail of a Sixteenth-century Mexican Treasure

The Search for the Codex Cardona: On the Trail of a Sixteenth-century Mexican Treasure