新・凡々ブログ

主にクトゥルー神話のことなど。

傾いだ影

 The Fantasy Fanの最終号となった1935年2月号にはダーレスの"The Slanting Shadow"が掲載されている。ウィスコンシンを舞台にした短編だ。
 ユライア=クロールという老人が1年ほど前に失踪した。彼の幽霊が出るという訴えを受け、心霊研究協会のアブナー=フォランスビーとフレッド=テニーが調査に乗り出す。どうやらクロールは魔術の研究に没頭していたらしく、フォランスビーとテニーは彼の部屋で現場検証を行った。やがて夜になり、二人はおかしなことに気づく。窓越しに入ってくる月明かりに照らされた床に、身長2インチしかない人間の影が映っていたのだ。
「何と! 魔術の実験をしているうちに、ガラスの中の世界に閉じこめられてしまったのか!」
 フォランスビーとテニーは渾身の力で窓ガラスを叩き割った。ガラスが粉々に砕けるとクロールが出てきたが、その身長は相変わらず2インチのままだった。クロールは寝台の下に駆けこみ、そこから悲鳴が聞こえてくる。ネズミに襲われたのだ。フォランスビーとテニーが呆然と見つめる床には、もう何の影も映っていなかった。
 これと同工異曲の作品としてラヴクラフトホワイトヘッドの「罠」を思い出された方もおられるだろう。しかし「罠」の主人公が細心の注意を払って少年を無事に鏡の世界から救い出したのに比べると、心霊研究協会の二人はいかにも粗忽だ。
 また、この号にはロバート=バーロウの"The Mirror"も載った。これは"Annals of the Jinns"の第9話に当たる掌編で、ヨンダスの皇帝が魔道士カルダに「緑黴の拷問」を宣告して地下の拷問部屋に送るところから始まる。
 極刑に処される前にカルダは魔法の鏡を製作したといわれていたが、その在処は不明だった。皇帝は興味を抱き、カルダの鏡を持ってきたものは誰であろうと褒美を取らせると布告を出す。すると汚らしい身なりの老人が宮殿の前に現れた。門衛は彼を追い払おうとしたが、皇帝が許可したため老人は玉座の間に通された。いったい何の鏡なのかと皇帝は老人に訊ねた。
「真実の鏡であります」と老人は答えた。「この鏡を作った魔道士はかつて陛下のお役に立ったことがあり、陛下は彼に褒賞を約束なさった。しかしながら約束は反故にされ、何カ月か前に魔道士は涜神の罪で拷問部屋送りになった。違いますかな?」
「そんなのは誰でも知っていることであろう」落ち着かない気分で皇帝はいった。
 老人は魔道士カルダの正体を現し、衣の下から鏡を取り出して皇帝に突きつけた。鏡に何が映っていたのかは誰にも知りえないことだろう。奇怪なことが起こり、皇帝の最期は世に容れられたいかなる死とも異なったものだったそうだ。
 The Fantasy Fanの1935年2月号もアイオワ大学図書館が公開してくれている。ダーレスの作品は85ページから、バーロウのは91ページから読むことができる。

https://diyhistory.lib.uiowa.edu/items/show/5224

 いずれも小品だが、ラヴクラフトは2編とも読んでいた。タンパ大学出版会から刊行されたバーロウ宛書簡集で彼の反応を見ることができる。1935年3月16日付の手紙でラヴクラフトは次のように述べている。

FF誌の(遺憾にも!)最終号では"The Mirror"が圧巻だと思います――ダレット伯爵の作品も載っているにもかかわらず、君のが一等賞ですよ。

 どうやらラヴクラフトの見解では"The Mirror"のほうが"The Slanting Shadow"よりも優れていたようだが、ダーレスを超えたというのが褒め言葉として使われていたことが窺える。なお、本当にすごい傑作の時は「クラーク=アシュトン=スミスに匹敵する」といってもらえる模様だ。
 "The Mirror"には"The Theft of the Hsothain Manuscripts"という後日談がある。長い年月が経ち、ヨンダスの都は廃墟と化したが、緑黴によって変わり果てた姿となった魔道士カルダはいまも秘密の宮殿で眠り続けているという。一方"The Slanting Shadow"がその後どうなったかというとストレンジストーリーズの1940年4月号に再掲され、21世紀になってからThat Is Not Deadに収録された。ファンジンに寄稿した掌編でもきっちり使い回して商業誌に載せ、原稿料を稼ぐあたりがダーレスらしい。

O Fortunate Floridian: H. P. Lovecraft's Letters to R. H. Barlow

O Fortunate Floridian: H. P. Lovecraft's Letters to R. H. Barlow