『三国志演義』の第119回、姜維が自刃する場面で、彼を悼む詩が流れる。
天水誇英俊 涼州産異才
系従尚父出 術奉武侯来
尚父とは太公望のことである。姜維は太公望の末裔だと述べているわけだ。非常に胡散臭いが、『新唐書』の宰相世系表にもそう記されているので、一応は正史の記述に準拠しているということになる。一方、武侯はもちろん忠武侯すなわち諸葛孔明を指しており、姜維の術が孔明から受け継がれたものであることを謳っている。
この詩では太公望と孔明が対置されているが、思えば二人の生き方も対照的ではないか。太公望は天命に応じて周の武王に天下を統一させたが、孔明の側に天命はなかった。劉備に会うなり「曹操には天の時を占めさせ……」と語ったくらいだから(『演義』第38回)、彼はそのことを最初から知っていたはずなのに、それでも劉備の軍師たることを選んだ。『封神演義』の登場人物でいえば、孔明は太公望よりもむしろ聞仲に近い。
天命に従った太公望、天命に抗い続けた孔明。*1太公望の血と孔明の心を受け継いだ姜維が敢えて進んだのは、父祖ではなく師父の道だった――と前掲の詩はいいたがっているのだろうか? だとしたら、なかなか切ない。