左の翼に
クリス=ハローチャ=アーンストのA Bibliography of the Cthulhu Mythos (参照)には、ダーレスとマーク=スコラーの"In the Left Wing"という合作が記載されている。ウィアードテイルズの1932年6月号に掲載された短編なのだが、これはいかなる話なのか。
語り手はサザードという名の男性である。マサチューセッツ州グロスターの郊外に住んでいる友人のジョン=スレイヴスを訪ねに行くところだ。婚約者のドロシー=キーンを流行病で亡くしてからというもの、スレイヴスは世捨人のような暮らしを送っており、サザードに宛てた手紙で黒魔術の話をすることもあった。
サザードがスレイヴスの屋敷に着くと、地所の管理人のフェントンが出迎えた。フェントンに呼ばれて、スレイヴスも姿を見せる。久々に会うスレイヴスがすっかり老けこんでいることに絶句するサザード。サザードを泊められそうな部屋はあるかとスレイヴスはフェントンに訊ねた。
「すぐに支度できそうなのは、左の翼の部屋だけです」
スレイヴス自身も屋敷の左の翼に引きこもっており、しかもフェントンはそこに立ち入ることを許されていなかった。サザードは左の翼の部屋に案内されて休むことになったが、夜中に足音が聞こえてくる。何者かが屋敷の中を歩き回っているのだ。サザードが廊下に出てみると、女物の靴下が床に落ちていた。
翌朝、サザードはスレイヴスに夜中の足音のことを話す。ラテン語で書かれた古い書物をスレイヴスはサザードに渡し、印をつけてある箇所を読んでほしいといった。それは黒魔術の本で、死者に仮初の命を与える法のことが記してあった。
「されど虚空には異妖のものどもの魂、邪悪なる魂が存在し、甦らされし死者に入りこんでは周囲のものに災いをなすという――」
スレイヴスの部屋から詠唱と女性の叫び声が聞こえた。サザードが駆けつけた瞬間、落雷が屋敷を直撃する。炎上する屋敷からサザードとフェントンはかろうじて脱出した。後日、屋敷からは2体の焼死体が発見される。1体はスレイヴスのもの、もう1体は彼が黒魔術で甦らせようとした許嫁のものだった……。
魔道書の記述がアンブローズ=ビアスの「ハルピン=フレイザーの死」を連想させるが、クトゥルー神話との接点は見つからない。グロスターはインスマスのモデルになった町とされているが、それだけでは神話大系に含める根拠として薄弱だろう。ハローチャ=アーンストも、書籍化された1999年度版の神話作品目録では記載を削除している。
この作品の粗筋を考えたのはダーレスだが、グロスター郊外の描写はスコラーの手になるもののようだ。月並みな話ではあるが、ダーレスに宛てた1931年7月13日付の手紙でラヴクラフトは「本当に迫力のある作品で、私の関心を捉えて放しません」と褒めている。ただし同時に「文章に不注意な点があります」と指摘し、推敲してやった。このとき、フランク=ベルナップ=ロングも一緒になって改善案を出したということだ。