ベーカー街の懲りない面々
シャーロック・ホームズから考える再創造(PDFファイル)
ホームズの再創造の一例としてソーラー=ポンズが挙げられている。また、コナン=ドイルの息子であるエイドリアン=ドイルがエラリー=クイーンに圧力をかけて『シャーロック=ホームズの災難』を絶版に追いこんだという逸話も紹介されているが、実は『シャーロック=ホームズの災難』自体はドイルの著作権を侵害するものではなかった。この件の経緯についてはピーター=E=ブラウのニュースレターが詳しい。1988年および2002年の記事を参照されたい。
『シャーロック=ホームズの災難』が出版されたのは1944年のことである。エイドリアン=ドイルはこのアンソロジーを抹殺したがったが、法的な根拠がなかった。ところが、1941年に刊行された101 Years' Entertainment: The Great Detective Stories, 1841-1941 に『緋色の研究』の抜粋を収録するための許可をクイーンのエージェントがきちんと取っていなかったことが判明したのである。クイーンがエイドリアン=ドイルに包み隠さず打ち明けたところ、そのことは不問にしてやるから『シャーロック=ホームズの災難』を絶版にしろと要求され、泣く泣く従わなければならなかったという。
エイドリアン=ドイルが次に狙いを定めたのはソーラー=ポンズだった。1946年9月11日、出版の差し止めを要求する書簡がドイル財団の弁護士からダーレスのもとへ送られてきた。しかしダーレスは動じることなく、訴えられるものなら訴えてみるがいいと応じてエイドリアン=ドイルを沈黙させた。この事件に関してはピーター=ルーバーの記事が詳しい。
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『シャーロック=ホームズの災難』の場合と同様、ソーラー=ポンズの時もエイドリアン=ドイルの要求には法的な根拠がなかった。ルーバーの記事ではダーレスはそのことを最初から見抜いていたかのようだが、ドロシー=M=グローブ=リタースキーのダーレス伝によると実はフレデリック=ダネイがダーレスに入れ知恵したそうだ。いうまでもなく、ダネイはエラリー=クイーンの片割れである。ダーレスの軍師がクイーンというのも結構すごい取り合わせだが、この二人は共にベーカー街遊撃隊の会員だったのである。『シャーロック=ホームズの災難』の件でエイドリアン=ドイルに煮え湯を飲まされたダネイとしては、意趣返しをする絶好の機会だったことだろう。
結局、エイドリアン=ドイルはダーレスにはまったく手出しができなかった。彼はそのことをずっと根に持っていたらしく、自分が20年後にポンズものの出版を手がけたところ彼に絶交されてしまった──とルーバーは語っている。
- 作者:オーガスト・ダーレス
- 発売日: 1979/07/29
- メディア: 文庫